ムサシは見た目も中身も粗野で明るく豪快で、繊細さなどかけらも持っておらず、いつも年相応には見られることのないメイドです。
おかげでどこで働いても長続きできるわけが無く、転々と御主人様を変えておりました。
そんな出来損ないメイドのムサシでしたが、ある日ようやく落ち着ける場所にたどり着いたのです。
蓼食う虫も好き好きと申しますか、ムサシの無骨な所が気に入ったと、その奇特な御主人様は笑うのです。
御主人様の名前はヒルマ。
ムサシの新しい御主人様はとても美しく聡明で、けれどまだとても幼い人でした。
ヒル魔はムサシにとてもよく懐き、ムサシもまたそんなヒル魔に真摯に仕えているのです。
また、ムサシはメイドと言う職業に向かないだけで、もともと人に好かれる性質の男でした。
新参者のムサシではありましたが、だからといって妬まれたりいびられたりすることは無く、他の使用人との人間関係も良好です。
そしてそれはメイド以外の雑用を請け負うようになり、更に深く広くなっていきました。
同僚との付き合いが増え、ムサシの隣ではいつも誰かが笑っています。
その様子をヒルマは隠れるようにして窓から眺めていました。
ムサシに見つかると必ず皆の前に引っ張り出されてしまうので、いつもコソコソとしていなくてはなりません。
『篭ってばっかじゃなくてよ、屋敷の人間連れて一緒に出かけようぜ』
いつもムサシは笑いながら、至極簡単に言い放ちます。
でも主従関係に重きを置く古い体制の屋敷では、ムサシ以外の使用人にそんなことが出来るわけありません。
別にヒルマは使用人に嫌われているわけではありませんでしたが、人の上に立つ人間というものは得てして下の人間からは敬遠されるものです。
御主人様であるヒルマが現れた途端に、それまで和やかだったムサシの周りの空気が張り詰めます。
ヒルマもそれが分かっているので、最近では愛犬の散歩も人任せになるほど部屋に閉じこもっていました。
ムサシや他の使用人が楽しんでいる空気を壊したくない。
そんなヒルマの気遣いは鈍いムサシに通じるはずも無く、部屋に入ってきたムサシはいつものようにヒルマを誘います。
「お前、最近本当に篭りっきりだよなぁ。たまには外にでろよ」
「......今は仕事が忙しい」
ヒルマはムサシには目もくれず、さも仕事に熱中している風を装います。
少なくともそうしている間は、ムサシが強引にヒルマを外へ連れ出すようなことはしないと分かっていました。
普段はちっとも気を回さない男なのに、こういう時だけは主従の領分を守って大人しく引き下がります。
「......ケルが寂しがってるぞ。手ぇ空いたら外でて来い」
「ああ、そうする」
ムサシは机から顔を上げないヒルマに溜息をついて、そのまま部屋を出ていきました。
パタンとドアが閉まると同時に、ヒルマは机に突っ伏します。
「もっと無理矢理にでも誘えってんだ、糞ジジイ」
ヒルマの口から小さく漏れた言葉は半分本気で半分嘘。
ムサシの側に行きたいけれど、ヒルマがこの屋敷の御主人様である限りおいそれと近づくわけには行きません。
きちんと線を引くことが、屋敷に仕える使用人全員の為になるのです。
大きなお屋敷で大勢の人間に囲まれて生活しているはずなのに、ヒルマはいつも一人ぼっち。
結局、その日もヒルマがムサシの誘いに乗ることはありませんでした。
(2)
何日も何日も、ヒルマは屋敷から出ようとしませんでした。
部屋に閉じこもり、日に当たらなくなったヒル魔の肌はその白さを増していきます。
加えてあまり動かないものですから、自然と食事の量も減っていきました。
毎日ヒルマの身の回りのお世話をするムサシは、そんなヒルマの変化に目ざとく気付きます。
何とかしてやりたいのは山々でしたが、だからといって仕事だと言い張るヒルマを机から無理に引き剥がすことは出来ません。
ヒルマが仕事をして稼いでいるからこそ、ムサシも他の使用人たちも安心して給仕することが出来るのです。
どうしたものかと頭をひねった末に、ムサシは外にいる執事頭ものとへ向かいました。
屋敷のことを一番良く知っていて、たぶんヒルマのことを生まれた時からずっと見守り続けている人間。
老いたとはいえ、常に厳格な光を宿す厳しい眼差しが、ヒルマに向けられる時にだけ和らぐ事をムサシは知っていました。
「あのよぉ、最近のヒルマおかしくねぇか?」
「キミが来てからヒルマ様がおかしく無かったことなどありませんよ」
あまりにもそっけない返答にムサシは苦笑します。
大切に大切に守り仕えてきた小さな主が、どこの馬の骨とも知れない若い男に懐いているのです。
しかもその幼い主人は男に気遣うあまり、塞ぎ込むようになってしまっていることにも老いた従者は気が付いていました。
「あんたが俺のことあんまり良く思ってねぇのはわかるけどよ。今は勘弁してくれねぇかな? 本気でヒルマの事が心配なんだよ」
「それは私も同じですよ。それで、何が聞きたいんですか?」
ヒルマの事が心配なのは2人とも同じでした。
そして今一番ヒルマに近いのはムサシであることを、老人は知っていたのです。
執事のものわかりよい返事にムサシは安心して言葉を続けます。
「アイツの親、どこにいるんだ?」
「......なぜです?」
「いくら頭良いからって、あんだけ小さいのが一人で切り盛りするなんてどうかしてやがる。親は何してんだよ?」
以前ムサシが何度かヒル魔に両親の話をもち掛けたことがありました。
けれどヒルマは親の話となると上手に誤魔化してムサシを煙に巻いてしまうのです。
初めは死んだのかとも思ったのですが、それにしては墓も見当たりません。
いくら大きなお屋敷とは言っても、庭仕事をしている今のムサシが墓地に気付かないわけはないのです。
それならば生きているのだろうと、ムサシは執事頭に問うたのです。
老人は少し思案した様子でしたが、その重そうな口を開きます。
「いらっしゃいませんよ」
「??だってよ、墓は無ぇから生きてんだろ? こんだけ大きなお屋敷構えといて、ヒルマ一人でってのはどう考えてもおかしいぜ」
「生きているから墓が無いのではなく、墓は無いから生きているかもしれない......という事ですよ」
執事の話は大まかに纏めるとこうでした。
ヒルマの両親は忙しく世界中を飛び回っていたのです。
もちろんまだ幼い子供は体力や免疫力、その他さまざまな危険を考えて、このお屋敷でお留守番していました。
両親が屋敷を空ける期間はいつもまちまちで、2,3日で帰る事もあれば1ヶ月以上留守にすることもありました。
それでも可愛いわが子の元へ、毎回きちんと必ず帰ってきてくれました。
ところがある日、連絡がぷつりと途絶え2人は帰ってこなくなったのです。
それからというもの、連日のように見も知らぬ親戚が屋敷を訪れ続けました。
それを追い払うのは執事頭の役目で、それを見ていた幼いヒルマはある日一大決心をします。
『2人が帰ってくるまで、この屋敷はオレがきちんと守るから』
まだあどけなさを十二分に残した顔で、ヒルマは真剣に訴えます。
幸か不幸かヒルマは異常なくらいに聡明で商才もあり、その時からお屋敷の全てをヒルマは守り始めました。
それは小さなヒルマが背負うにはあまりにも大きな重圧です。
執事もそれは分かっていたのですが、その時はヒルマの言葉に従うほか無かったのです。
「それっていつの話だよ」
「さぁ、もう3,4年にはなりますか」
「3,4年って...。まだ全然ガキじゃねぇかっ」
今でも十分お小さいのですがね、と老人は痛々しそうに屋敷を見上げます。
そしてムサシの様子を窺おうと振り返り、執事頭は少し驚きます。
そこには真剣な顔をしたムサシがいて、目が合った瞬間老人に詰め寄ってきたのです。
「俺に何が出来る?」
「そうですね、ヒルマ様のお側でいつも通りに振舞えばそれでいいのではないですか?」
「そうじゃなくてっ!! もっと他にこう...」
「それだけでいいんですよ。普通の子供として相手してくださればね」
大事な両親と大きな屋敷とそこに仕える人間達を守るために、ヒルマが引き換えに差し出したものをこの老執事は良く知っていました。
そしてそれをヒルマに与えてあげられる人間が、今この屋敷にはムサシしかいないことにも気が付いていたのです。
屋敷に向かって踵を返し、走り出したムサシの背中に執事が声をかけます。
「ヒルマ様が少しぐらい手を抜いたところで、このお屋敷には何の影響も及ぼしませんよ」
仕事の邪魔などいくらしても構わないと、老人は暗に告げたのです。
言葉の意味を理解したムサシは振り返らずに手を振ります。
その姿にやれやれと、老人は肩の力を抜いて微笑みました。
(3)
走ってきたものの、ムサシは通い慣れた扉の前で少し迷っていました。
入るかは入らないか、ではなく。
わざと明るく振舞うか、それともそっと労わったほうが良いものか。
ヒルマの身の上を聞いてしまったからこその悩みでした。
賑やかでも沈んでも、聡いヒルマのことですからムサシの考えなどすぐに見破られてしまうでしょう。
どうしたものかと耳を穿ったその時、ふとムサシは老執事の言葉を思い出します。
確か彼はムサシに『いつもどおりに』と言ったのです。
ムサシは大きく息を吸い込むと、いつものように雑な仕草で扉を開きました。
「よぉ.....ヒルマ?」
「.........」
ムサシの呼びかけに対して、期待した返事が返ってきません。
小さな影は机に突っ伏したまま動きがなく、ムサシは慌てて近寄りました。
改めてよく見てみると、その小さな背中が規則正しく波打っています。
「びっくりさせんじゃねぇぞ、ったく」
すぅすぅと寝息を立てるヒルマの顔を覗き込んで、ムサシはため息を漏らしました。
子供の寝顔とは思えないほどに疲れ切った寝顔がムサシの胸を打ちます。
連日仕事に熱中するあまり、たいした休みを取っていなかったことを窺わせる寝顔でした。
ゆっくりベッドで休ませようと、ムサシはそっとヒルマの体を抱き上げます。
「......軽っ」
もともと痩せ気味の子供でしたが、最近きちんと食事を取っていなかったのでしょう。
腕から伝わる子供の、あまりの軽さにムサシは舌打ちます。
そのままベッドへ運ぼうと歩き出した瞬間、腕の中の子供が身じろぎました。
「......んっ」
「おう、わりぃ。起こしちまったか?」
「うわっ!! 何?......離せっ!! おーろーしーやーがーれぇぇっ!!」
「はいはい、暴れんなって。おらっ」
ムサシはヒルマを落とすことなくベッドに運び、柔らかいマットへと無造作に小さな身体を放り投げたのです。
その乱暴な扱いに、ベッドの上でヒルマがキーキーと癇癪を起こします。
「急に落とすなーーーッ!!」
「ああもう、離せって言ったのはお前だろうが」
「人のこと荷物みたいに扱いやがってっ!!こっちはまだ仕事が残ってんだっ。出てけ糞ジジィ!!」
怒りながらベッドを降りようとするヒルマを、ムサシが引止め押し上げます。
今までのムサシは『仕事』と言われれば引き下がるしかありませんでした。
けれども今はヒルマから『仕事』を取り上げてもかまわないという許可が老執事から下りたので、ムサシは心置きなく邪魔をします。
「疲れてんだろ、大人しく今日は寝ちまえっ」
「ふぎっ!!」
ムサシはいまだ暴れる聞き分けの無い御主人様を諌めるために、形の良い小さな鼻を摘まみました。
そしてゆっくり言い聞かせるようにしゃべります。
「仕事はいい加減にして、きちんと休め。そんでもってきちんと食って、きちんと遊べ。わかったか?」
「.........子ども扱いすんじゃねぇッ!!」
「十分子供だろうが」
「オレの親でもないくせにッ!!」
「.........っ」
『親』という言葉に一瞬ムサシが怯みます。
その様子に気付いたヒルマは急に大人しくなり、ムサシに背を向けました。
そうしてムサシから隠れるように、モソモソと頭からシーツを被り蹲ってしまったのです。
「ヒルマ?」
「.........もういい」
「何が?」
「出てけっ」
両親のことが知れたのだと、ヒルマはムサシの態度から気付きました。
別に隠してはいたわけではありませんが、ヒルマの身の上を聞いた大人が一様に向ける同情の目が幼いヒルマには我慢できなかったのです。
ムサシも他の大人と同じなのだと思うと、ヒルマは苦しくてギュゥッとシーツに閉じこもります。
そんなヒルマの背中をムサシがシーツ越しに柔らかく叩きました。
触れられた瞬間ビクリと震える塊に、ムサシは怯まずポンポンとあやします。
「あのなあ、寂しいんならそう言えよ」
「寂しくないっ」
「我慢すんな」
「我慢してねぇ」
どこまでも意地っ張りな強くて弱い御主人様にムサシは苦笑します。
内容は可愛げがなくても、きちんと返事を返すことにムサシは安心しました。
シーツに隠れた背中をゆっくり撫でながら、ムサシは言葉を続けました。
「本当の親が帰ってくるまでなら、お前の父親してやっても良いぞ?」
ムサシの言葉にヒルマは目を開きます。
今まで親代わりを申し出る人間は数多くいました。
誰もが両親のことは諦めろと言い、中には墓を立てさせようとする者までいました。
けれども『本当の親が返ってくるまで』と言ったのはムサシが初めてです。
ヒルマは自分の願いを傷つけなかったムサシの言葉に、頑なだった態度を少しだけ柔和させたのです。
「オレの父様はテメェみてぇにごつくねぇ」
「だろうな。お前見てたら言われなくてもわかるよ」
「髪だって黒くないし、ヒゲだってない」
「どっちかが黒かったら、そんだけ綺麗な金髪にはならねぇよ」
「色だって......もっと、白い」
「それもお前の肌見たらわかる」
ムサシはヒルマの言葉全てを肯定していきます。
それはまるで、油断すれば記憶の中から薄れそうになる両親の姿を、ムサシがヒル魔に与えてくれているようでした。
ヒルマはシーツ越しに伝わるムサシの手や声の暖かさを、気持ち良いと感じながらまどろみ始めていました。
「瞳も...黒く.....ね......」
「ヒルマ?」
「.........」
返事のなくなった子供の様子に気付いて、ムサシはそっとシーツをずらします。
そして、そこに先ほど机の上で見たのとは違う無邪気な寝顔を見つけたのです。
ムサシはヒルマを優しく撫でながら、隣でヒルマを守るように身体を横たえました。
「やっぱ親父...は無理だな。せめて兄貴くらいで勘弁してくれ」
真っ白くて金色がきらきらしている幼い寝顔に見惚れながら、ムサシはそっと囁きます。
腕の中の暖かさを心地よく感じながら規則正しい寝息を子守唄に、ムサシもいつの間にか眠りに落ちていくのです。
あまりに静かな部屋の中を心配して、様子を伺いに来た老執事に起こされるまで、2人は幸せそうに眠り続けるのでした。