<守り人>
隣に居るのが当たり前過ぎて、居なくなった後のことなんて考えもしなかった。
いつでもふざけてじゃれあい続けられると疑いもしなかった。
別れは突然やってきて、自分から全てを奪う。
「おいムサシ、いつでも帰って来い。待ってるから……」
「それは無理だ。新しいキッカー見つかるといいな。」
諦めに似た感情とどうしようもなく我慢できない衝動がぶつかって想わずムサシに掴みかかる。
そんな自分の手をムサシはやんわりと外し、まっすぐ見据えてさらにとどめを刺してくる。
「ヒル魔、お前とはもうただの顔見知りだ。」
「っ!!……どういう意味だ?」
「そのまんまだよ。全部終わったんだ。」
ムサシのこういう所が狡くて大嫌いだ。
一つが手に入らなければ全て捨てて無かったことにする。
たった一つが手に入らないだけで自分は捨てられるのだと悲しくなった。
それだけの存在でしかなかったのかと可笑しくも無いのに笑いがこみ上げそうになる。
そんな自分の顔を見られるのが嫌で、ムサシに背を向けて最後の言葉にしがみつく場所を捜す。
「何も終わってねぇ!!お前は帰ってくるんだ。絶対になっ!!」
「………………。」
無言のムサシを背に、自分が出来る事に向かって歩き出す。
いつかムサシが帰ってくる時の為に、いま無くしかけているたった一つを守り抜こうと決意する。
たった一つさえ手に入れば後は全ておまけのようについてくるから。
自分がおまけだなんて思いたくも無いけれど、目の前に突きつけられた現実から逃げるほど大人でもないし、ムサシに縋る事が出来るほど子どもでもなくなっていた。
時間だけが過ぎていき、どんなに努力してもムサシはすぐに自分から離れていこうとする。
だから仕事という大人の理由でムサシを縛り付ける。
あれ以来、ムサシは言葉通りに他人として振舞ってくる。
その度に痛む頭を押さえて無理に笑ってやる。
忘れようとしても忘れさせてなんかやるもんか。
いつまでもそののど笛に喰らいついて離れない。
苦しんでも痛んでもどうなったって開放してなんかやらない。
逃げ道は全て踏み潰してやる.選ぶ道は一つだけ。
≪だから早く俺のところに戻って来い、俺が壊れてなくなる前に……≫
久しぶりに部室という空間で逢った日、自分以外の人間に出されたコーヒーを飲むムサシを見ているとまた頭が痛くなった。
そしていつものように同じ会話が繰り返される。
「いいかげん、新しいキッカー育てろ……」
「寝ぼけんな、糞ジジイ。即席キッカーで秋大会優勝できるかッ……。なーに問題ねぇ、テメェが戻るからな。」
「………相変わらず勝手なヤローだ。」
そう言ってムサシは自分には目もくれず他を向いて笑う。
こんな時くらい自分を見てくれたら良いのにと、ムサシの態度に落胆する自分に吐き気がする。
次の試合の戦略を考えるとかなんとか言ってそのまま2人を追い出した。
これ以上は限界だから、場所がどこだろうと誰がいようとお構いなしでムサシに触れたくなる。
だからそんな自分を押さえる為に一人きりになりたくて部室に閉じこもる。
「…………糞っ」
部室にはまだムサシがいるようで自分の全てがざわつき出す。
鍵を閉めたとはいえ、今はまだ真昼間で外ではたくさんの人間がうろついている。
こんな時間にこんな場所でと思うが、ついさっきまでムサシが自分の手の届く所に居たのだと思うと自然と手がズボンへ伸ばされる。
「……ッ…んッ……」
外に聞こえないように声を押し殺しながら手淫を始める。
そんな自分に馬鹿な事をと情けなくなるが今の残るムサシの匂いと残像に心ははやる。
「………はっ………ぅんっ」
ムサシが触ってくれた時の事を思い出しながら、脳裏に浮かぶ記憶になぞらえる。
もう随分とその髪一つ触れ合う事は無かったのに、こんなにも鮮明に思い出せる自分に苦笑が洩れる。
「うっく…………ぁ………」
ゆっくりと指先が形をなぞりその先に爪を立てる。
ムサシはこれが好きでいくら非難しても止めてはくれなかった。
深く爪を立てた感触にゾクリと背筋を伝う痛みと快感はムサシが与えてくれるモノからは程遠い。
それでも構わず続けていると、ふとコーヒーカップが視界に入ってきた。
ついさっきまでムサシが唇をつけていたその場所に舌を這わせる。
「ンッ……はぁ……むさ…し………」
ムサシの唇とはまるで違う冷たく固い感触が自分を拒絶するムサシの心に触れたようで舌が竦む。
それでも少しでもムサシに触れたくてカップに口付けしながら乱暴に自分を追いたてる。
「はっ……あっ…………んんっ………っ!!」
白濁とした意識の中で、自分の手に残る手淫の証拠を眺める。
いやらしくて浅ましい行為をまるで誰かに責め立てられているようで居た堪れなくなる。
さっきまで口付けをしていたカップに目を向けるが、視界が曇って上手く焦点が合わせられない。
知らず知らずのうちに涙が頬を滑り落ちる。
大声を出して泣き叫んだら飛んできて抱きしめてくれるのだろうか。
それともこんな姿を見下ろして侮蔑の眼差しを向けるだろうか。
たとえ後者だとしても、ここに来てくれるだけマシかもしれないと思う。
来て欲しいと願う。
でもそれがかなわぬ願いだとわかった時に自分の足で立ちあがる自信はもうない。
だから何も望まず何も願わず、ただ目をつぶり耳を塞いでこの場所を守りながら待ちつづける。
今の自分に出来るのはそれだけだと言い聞かせてムサシを信じて待ちつづける。
終りが来ない事を祈りながら。
終