大きな屋敷には、金髪の若いご主人様。
とってもキレイなお顔をされている色白美人さんで、名前をヒルマと言います。
口数が少ないので屋敷の使用人の中には怖がっている人もいますが、実は使用人の中でファンクラブなんかもあったりします。
そしてそのお付きには大きな体のゴツいメイドさん。
こちらの名前はムサシと言います。
このメイドさん、お屋敷にやってきたのはつい最近なのですが、どういう訳かご主人様に気に入られたようでお屋敷に上がると同時にご主人様専属のメイドとなりました。
しかしムサシはメイドとしてはからきしで、主人であるヒルマに対しての言葉遣いが全く出来ていないのです。
それを気にした他の古株の使用人が「ちょっと……」と注意することが何回かあったのですが、何と主人であるヒルマがそれを気にせず、むしろそのままでいいと許したのです。
フランクな態度が災いして色んな屋敷を転々としてきたムサシにとって、とても良いご主人様でした。
主人であるヒルマの仕事は自宅で出来るものらしく、いつもお部屋にこもっています。
なので外出も飼い犬であるケルベロスのお散歩に出かけるくらいです。
口数が少ないわ、部屋から出る回数が少ないわで屋敷の人間とのコミュニケーションが少なく、使用人の中には怖がっている人もいます。
でも本当は優しいご主人様だということはムサシが知っています。
仕事柄いつも傍にいるから気付いたのですが、ヒルマは使用人たちの休暇申請や遊ぶための余暇申請にとっても寛大です。
屋敷の中のことは使用人頭である執事が切り盛りしているのですが、その報告や相談に全て許可を出しているのは主人であるヒルマなのです。
屋敷の中で過ごす使用人の息抜きや、長期の里帰りに嫌な顔一つせず「構わない」と一言返事をします。
そんな豪胆なご主人様をムサシも大好きになり、二人はお友達のように仲良く日々を過ごしておりました。
しかし、そんな穏やかな日常にも波風立つのが世の理です。
ヒルマは部屋を汚したり、散らかしたりすることがありません。
私物が極端に少ないので、ムサシの仕事はせいぜい朝昼晩のご飯時と、午後のお茶くらいです。
そしてムサシは元々家の中でこまごましたことをお世話するのに向いていません。
着替えやお茶の準備よりも、外での肉体労働が大好きなのです。
メイドとして致命的です。
自分の言葉遣いの悪さも気にしない、手の掛からないご主人様なのですが、ムサシはどうしても居心地悪くて、ある日ヒルマにお願いを持ちかけました。
「メイドじゃなくて、他の使用人で雇い直してもらえねえか……?」
自分がメイドに向いていないことなんて、ムサシ自身が一番良く分かっています。
でも、ここは給料も良いし、自分の粗忽さを気にしない主人であるヒルマから離れるのも嫌だなあ、と思っているのです。
しかし、ヒルマはムサシの言葉を聞いて不機嫌になってしまいました。
ヒルマはムサシが傍にいるのが一番嬉しいのです。なるべく一緒にいたいのです。
ヒルマには今まで自分に対して対等に接してくれる人がいませんでした。
屋敷の人間にとってヒルマは「ご主人様」なので、対等にはなりえません。
ヒルマはそれを何となく一人ぼっちに思って寂しかったのです。
でも、ムサシは違いました。
他のメイドや使用人と違って、ヒルマに対して普通に接してくれるのです。
ヒルマはそれが嬉しくてムサシを傍に置いたのです。
なのに、自分の傍から離れると言われてしまっては心中穏やかではありません。
うつむいたまま黙り込みます。
重い沈黙が流れて、二人の間に微妙な空気が漂います。
先に沈黙を破ったのはムサシの方でした。
「えーと、庭いじりとか外回りの方が助かるんだが……」
「何でだよ」
『助かる』という言葉に反応して、ヒルマは不機嫌そうにそう言いました。
自分の傍にいるのが嫌なのか、不安になってしまったのです。
でも、ムサシは鈍感なのでそんなヒルマに気付くはずもありません。
「なんつーか、俺メイドに向いてないからなあ。外で体動かしてる方が性にあってんだよ」
ムサシは自分より他のメイドの方が出来が良いだろうと言います。
自分はちゃんと世話できてないだろうと。
でも、ヒルマにとってはムサシが一番居心地の良いメイドなのです。
ヒルマは悩みます。
どうしようどうしよう。
顔には出さずに、考えを巡らせます。
ムサシはこの屋敷にいるのを嫌がっているわけではないのです。
突破口はそこしかありません。
ヒルマはそこに気付いて、妥協案を持ちかけました。
「外での作業が好きなら勝手にすればいい。でも専属の使用人からは外さない」
ギリギリの譲歩です。
「空いた時間に他の事をするのは構わないが、自分の担当からは外さない」
そう言い切ります。
ムサシは少しだけいぶかしんだ顔をしましたが、結果として好きにさせてもらえるんだとヒルマの提案に頷きました。
その日から、ムサシにはヒルマへの給仕の仕事以外に「便利屋」が加わりました。
ご飯やお茶の時間が終わると、ヒルマに「ちょっと外行って来る」と言って立て付けの悪くなったドアや、古くなった外壁を直しに行くのです。
大工仕事が得意なムサシは屋敷内のメイド仲間以外にも頼りにされました。
出入りの業者や厩舎の人間、誰とでも仲良くできるムサシはあっという間に屋敷の人気者です。
毎日外で他の使用人と楽しそうにしているムサシを部屋から見て、ヒルマはひっそりため息をつきました。
「よお、今日は天気が良いな」
めずらしく外に出てきたヒルマに、庭で他の使用人たちと土いじりをしていたムサシが話しかけます。
ムサシが屋敷に来て1カ月。
ぽかぽか陽気の、4月の屋敷の庭では夏の花の種まきの真っ最中です。
地面に座り込んで花の植え替えを手伝っていたムサシの手は泥だらけで、前より活き活きしています。
そんなムサシにヒルマは少しだけ寂しさを感じました。
「気分転換にちょっと外に出ようと思っただけだ」
ぶっきらぼうに返事を返します。
「そうか……」
ムサシもまるで友達と喋るような返事をします。
その返事を聞いて、ヒルマの顔が緩みました。
ムサシが他の人間と楽しそうにしていて寂しさを覚えていたヒルマですが、場所がどこであれムサシの自分に対する言葉遣いが変わらないことが嬉しくて、ほんの、ほんの少しだけ顔を赤らめて笑ったのです。
「……!」
ムサシはちょっとだけビックリしました。
いつも無表情で淡々としているのヒルマの、笑った顔を見たことが無かったのです。
元々端整な顔立ちですが、笑うともっとキレイだな、とムサシは思いました。
何の他意も無かったのですが、ムサシは思ったことを素直に口に出しました。
「オマエ、もっと笑えよ。その方がいいぞ」
しかも、汚れた手でヒルマの頭をくしゃくしゃ撫でながら。
「――――――!!」
ヒルマは真っ赤になります。
今まで誰にもそんな扱いをされたことはなかったのです。
胸がぎゅっとなって、この場から逃げ出したい気持ちになりました。
でも、それは嫌だとか辛いとかいう気持ちとは、きっと違うもの。
「ケルベロスの散歩に行くから……」
ヒルマはそれだけぽつりと言って、ムサシを見ます。
ムサシはその言葉に「散歩に付き合え」という意味を汲み取って、素直に立ち上がりました。
「じゃあ、俺ちょっと出てくるわ」
他の使用人にそう言ってヒルマの横に並びます。
ケルベロスを真ん中に、連れ立ってゆっくり歩き出すムサシとヒルマ。
今日のお散歩はちょっと長くなりそうです。
「そういやオマエ、いっつも部屋で何かしてるけど学校には行ってないのか?」
ムサシが不思議そうにヒルマに問います。
金髪の若いご主人様。
歳の若すぎるご主人様。
ムサシの言葉遣いが多少崩れるのも仕方ありません。
「その歳じゃ普通は学校行ってるだろ? てか幾つなんだ?」
他の使用人には今更なことですが、ムサシは屋敷に来たばっかりでヒルマの本業を知りません。
ヒルマは知らないのかと言いたげな顔をしながらも、簡潔にあっさり答えます。
「歳は11。学校は去年飛び級で大学卒業した。今は会社やってる」
ムサシの口がぽかんと開きます。だってそんなこと誰も教えてくれなかったのです。
「そ……うか」
ムサシはヒルマの口数が極端に少ないこと、他の人間と上手くコミュニケーションが取れない原因を何となく理解しました。
歳相応の経験をしていないからだと気付いたのです。
「なあ、今度どっか遊びに行こうぜ。屋敷の人間連れてさ」
屋敷の人間はヒルマの厚意で好きに遊びに行ける。
でもそれは広い屋敷にヒルマを一人で置いていくことになる。
ヒルマのことを考えたムサシの気遣いでした。
かくいうヒルマは、ムサシによるいきなりの誘いに心拍異常です。
一緒にいたいなあと思って、メイドとして傍に置いたはずのムサシ。
でも外回りが良いと言われてしまって、一日の半分を離れて過ごすようになってしまったムサシ。
それでも自分が近寄っていくと、必ず声を掛けてくれるムサシ。
今だって、ちゃんと自分に付き合って歩調を合わせてくれているムサシ。
そのムサシからのお誘いです。
ヒルマは夢でも見てるんじゃないかと思うくらい嬉しくて、胸の奥がそわそわしています。
「夏になったら海とかどうだ?」
ムサシは言葉を続けます。聞いているヒルマはもう倒れそうなほど動揺しています。
嬉しいのか、恥ずかしいのかなんてもう分かりません。
「何だよオッサン、父親気取りか?」
憎まれ口しか出てこないこの気持ちをどうしよう。
「オッサンとは何だ! 俺はまだ十七になったばっかりだ!」
「……は?」
今度はヒルマがぽかんと口を開ける番でした。めずらしく情けない声が出てしまいます。
「三十歳くらいだと思ってた……」
まじまじとムサシを見上げて、ヒルマが物珍しそうにムサシの無精ひげをさわります。
「こら、くすぐったいからやめろって」
いつもは年齢にそぐわない落ち着きを漂わせているヒルマの子供らしい一面。
それが嬉しくてムサシのヒルマに対する子ども扱いに拍車が掛かります。
「いっぱい遊びに出かけような」
そうヒルマにニッカリ笑いかけました。
ヒルマはもう何が何だか分からなくて、ムサシの服をぎゅっと掴みます。
11歳の精一杯。
自覚するのはもう少し先。
そして年上だと言っても、ムサシもそんなヒルマの気持ちに気付くはずもなく。
意地悪く笑いながらヒルマをいじめます。
「なんだなんだ服なんか掴んで。甘えたいのか?」
「ちっが……!」
ヒルマはとっさに手を離して必死に否定します。
でも、そんな可愛い抵抗をムサシが本気にするはずがありません。
「屋敷の中にはおにーさんおねーさんがたくさんいるからなあ」
「オマエはオッサンだ!」
「甘え倒してわがまま言っていいんだぞ。11歳」
「てめえ……!!」
「まず来週あたりみんなでピクニックだな。決まりだ」
「オマエが俺の予定を決めるな!」
ぎゃあぎゃあと微笑ましい喧嘩が始まりました。
ケルベロスはすっかり忘れられています。
仲の良い兄弟がじゃれあっているような二人。
屋敷の中で、この光景が日常になる日は近そうです。
そして。
ムサシとヒルマが当たり前のように二人で外に出かけるようになるのは、またずっと後のお話。