リップサービス

リップサービス


子供も大人も誰もいない保健室で、ムサシは熱に浮かされ、ただ眠り続けていた。
鬼の霍乱とはこのことかと、ヒル魔はその苦しそうな寝顔を覗き込む。
熱で上気した頬は老けた顔のムサシを少しだけ、歳相応に中学生らしく見せている。
うわごとすらも出ないくらいに苦しそうな息をするムサシを見ていると、ヒル魔は何とかしてやりたくなって顔を近づけた。
その息の熱さに驚いて、少し離れる。

「.........ぅう...」

ムサシが小さく呻いて身じろいだ。
汗ばむ顔に手を伸ばすと、想像した以上に熱くて手を離せなくなる。
ムサシが苦しむ顔なんて見ていられなくて、窓の外に目を向ける。
誰もいない校庭、誰もいない部屋、耳にはムサシの浅い呼吸しか届いてこない。
再びムサシに目を向けて、ヒル魔が近づきそっと口づけを与える。
ヒル魔の中に熱い息が流れ込む。
この熱を吸い尽くしたなら、ムサシはまた元気になって笑ってくれるだろうか?
そんなことを考えながら、ヒル魔はそっとムサシから離れ保健室を出て行った。



〜キス戦争〜


どこの学校でも、思春期の女生徒の間ではおかしな遊びが、麻疹のように流行りだす。
例えば、スカート捲りであったり、リボン外しであったりと内容は色々だが、どれもこれもあたりかまわず通り魔的に行われていく方法は共通している。
ヒル魔達の通う中学校で流行ったのは、少し行き過ぎていたが同じようなものだった。

『2年の武蔵がまたやられたらしいぜ』
『まじかよっ!!いいなぁ』
『オレも誰かやってくれないかなぁ?』

ヒル魔の耳に届く情報は、どれもこれもくだらなくて聞きたくも無いものばかりだった。
今女生徒の間で流行っている遊びに、ムサシが引っかかったらしい。
もともとは気になる男子生徒の唇を奪って、告白代わりにするといったものが原型だった。
それが一部のマセた女生徒たちの中で変化していき、キス強奪ごっこへと変わっていた。

「なぁ、ヒル魔」
「なんだ?糞ジジイ」
「その...なんだ、あの、.........」
「糞女にキスされたって報告なら、しなくても知ってる」
「.........すまん」

ドカッ

突然の謝罪に、ヒル魔の蹴りが炸裂する。

「..........痛ぅ...」
「何でテメェに謝られなけりゃならねぇんだよっ!!頭おかしいんじゃねぇのかっ!?」
「いや、何となく。不機嫌そうだし」
「けっ!ふざけんなっ!!」

ムサシに向けたヒル魔の背中は明らかに怒っていて、ムサシにはその理由がわからなかった。
そして少し考えて、先にキスを済ませた友達に対する男同士のプライドの問題かと勝手に思い込んだ。
だから謝ったのにその結果がこれで、ムサシは何か話題を変えねばとまた頭をひねる。

「ヒル魔は...したことあるのか?」
「あぁ?」
「だから、キス......」
「テメェに関係あんのかよっ!それとも、もしオレがまだだったら先輩面して教えてくれるってぇのか?」
「お前、本当に一言多いな」
「テメェは頭が足りねぇんだよ!」

ヒル魔のあまりの言い草に、さすがのムサシも子供くさい意地が頭をもたげてくる。

「だったら、どっちが上手いか勝負してみるか?」
「ぶっ殺すぞ、糞ジジイ」
「自信ないのか?」
「なっ!!......ざけんなっ!?」

売り言葉に買い言葉で、ヒル魔がムサシに掴みかかる。

「後悔しても知らねぇからなっ、テメェの腰が抜けてもそのままほっといて帰ってやる!」
「こっちの台詞だ!」

二人は襟元を掴みあったまま、お互いの顔を睨み付ける。

「目、瞑れよ。バカヤロウ」
「そっちこそ瞑りやがれっ、糞ジジイ」

睨み合ったまま、時間だけが過ぎていく。

「............ぷっ」
「.....ぶふぅ」

緊張した空気と切羽詰った雰囲気に耐え切れなくなって、どちらからとも無く笑いが噴出した。

「あはははははっ」
「ケーケケケケケケケッ」
「あー、腹痛い」
「ぎゃははっ、なにマジになってんだ!バッカじゃねぇのか」

ひとしきり笑い終えると、二人は顔を見合わせてクスリと笑ってその場に腰を下ろした。

「あのさぁ、ヒル魔......」
「今度はなんだ?」
「笑わずに聞くって約束しろよ?」
「ケケッ、内容によるな」

ヒル魔の捻くれた返事に苦笑しながらムサシは話を続ける。

「忘れられないキスってあるか?」
「.........テメェはどうなんだよ」
「んー。あるといえばあるような、ないといえば無いような」
「なんだそりゃ、人のことからかってやがんのか?」

首をかしげながら言葉に悩むムサシに、ヒル魔は転がっていた消しゴムを投げつける。

「なんだよ、痛ぇなっ!仕方ないだろ、よく覚えてないんだから」
「はぁ?」
「ほら、いつだったか俺が熱出してぶっ倒れたことがあっただろ?」
「...........そう...だったか?」

ムサシの告白にヒル魔の心臓が跳ね上がる。

「その時によ、誰か分からないんだけど......たぶんされたんだと思うんだよな」
「夢でも見たんじゃねぇのか?」
「いや、それにしては妙にリアルというか......冷たい唇がすっげぇ気持ちよかった」
「.........へぇ」

ムサシの言葉に耐え切れなくなって、ヒル魔は立ち上がった。

「なんだよっ、いきなり立ち上がったりなんかして」
「うるせぇ、帰るんだよっ!!テメェの与太話になんか付き合ってられっか!」

そういってヒル魔は足早に教室を後にする。
慌ててムサシが後を追うから、ヒル魔はさらに早足でムサシを引き離す。

「待てよっ!おい、ヒル魔?お前まだならまだって言えばいいだろ!!」
「......まだじゃねぇよっ!!」
「だったら言えよ、俺だって言っただろう!!」
「あいにくこっちはテメェと違ってデリカシーの塊でなっ!!誰がしゃべるかっ!!」
「ずるいぞっ!!」
「テメェが勝手にしゃべっただけだろうがっ!!付いてくんなッ!?」

ムサシが追いかけるから、ヒル魔はもっと早く駆け出していく。
もし今ムサシに捕まってしまったなら、この真っ赤な顔をなんと弁解すればいいのか、今のヒル魔には全く思いつかない。
だからただひたすら走って逃げる。
ムサシが諦めてヒル魔を追いかけるのを止めるまで、ぎゃぁぎゃぁとうるさい追いかけっこは続いていった。
その晩、翌日にはまた何食わぬ顔でムサシと笑いあえるようにと、鏡の前で笑顔の練習をしながら、ムサシの告白を思い出しては顔を赤らめ、ため息をつくヒル魔の姿があった。