特別視されることは良い意味であろうと悪い意味であろうと、他者からの隔離という意味であるならばそれほど違いがない。
幼い阿含は賢明すぎるがゆえに、そのことを頭ではなく感覚で理解していた。
常日頃からの賞賛と尊敬、憧憬、嫉妬といったもろもろの感情に触れ、神童だ天才だと持て囃される度に、阿含はわけもわからずイラついていった。
その小さな胸のうちに広がる暗雲は、天才ゆえの孤独や疎外感といったものだったのかもしれない。
しかし、幸か不幸か阿含にそういったことを教えてくれる人間は周りに存在しなかった。
年月を重ね、阿含が抱える心の闇はいつしか傲慢や自信、驕りといったものにすり替えられ、阿含本人にさえ気付かれることなくその胸の奥底に沈み澱んでいった。
まだ身体も心も幼い阿含が男になった日、それは起こった。
初めて女とのSEXという行為を終えて自宅に帰った阿含は、その身の内に潜む不可解な感情にイラつき、その捌け口を双子の兄である雲水にぶつけた。
「よう、雲水。オレさっきドーテー捨ててきたぜ。」
「なっ!」
自分と同じ顔をしたまだ年端も行かない弟からのカミングアウトに兄は言葉を失う。
自分と同じ顔をした幼さの残る兄が驚いた表情で弟を見上げてくる。
阿含は雲水の言葉を待たずに薄ら笑いを浮かべて詰め寄った。
「俺だけ先にってのも悪いから、テメェにもやってやろうか?」
「.........何言って?」
阿含の言わんとすることが理解できずに、雲水はただその圧倒的なまでの威圧感に呑まれてしまっていた。
そんな雲水を阿含が力任せに押し倒す。
「うわっ!!阿含っ!!」
「しー、大人が来ると面倒だろ。」
「何する気だっ......」
「何って、お兄ちゃんの筆おろし。あ、でもオレ突っ込むほうな。」
「っ!?」
雲水は弟の口から出た言葉に一瞬目の前が真っ白になった。
「俺達男同士だぞ?」
「テメェに生理が無いのくらい知ってる。」
「兄弟なんだぞ?」
「こんな堅物兄貴よりはグラビアアイドルみたいな姉貴か妹が良かったんだけどな。」
「.......そう...か。」
阿含と比較するから雲水はいつも周囲から過小評価されているが、その聡明さは同年代の子供と比べて抜きん出ていると言っても過言ではない。
だからこそ、年齢不相応に諦めと受け入れを身につけてきた。
いかに弟といえども阿含と自分が並び立つことはない。
その弟が自分を犯すというのならば、凡人の自分にとってそれは逃れようの無いことだと雲水は身体の力を抜いて目を閉じた。
「好きにしたらいい。」
「.........本気で言ってんのかよ、どういうことかわかってんのか?雲水。」
「...............。」
雲水は黙って瞳を閉じ続け、阿含の無理難題を抵抗することなく受け入れている。
兄弟といっても、胎内で上下に位置していただけ、同じ時に息づき育まれてきた半身。
周りがどんなに二人を比較し、阿含を特別視しようとも阿含にとって雲水は自分と対等だと思っていた。
今この瞬間までは。
誰もが阿含を手放しで容認する様は、ただの放置でしかなかった。
本当は初めての性衝撃にうろたえ恐れて誰かに支えて欲しかった。
雲水だけはこんな自分を怒りたしなめ気付いてくれると思っていたのに、雲水までもが阿含を切り捨てる。
たとえ雲水にそんな気持ちがなかったとしても、少なくとも阿含にはそう感じられた。
ただ静かに阿含の動きを待つ雲水を見つめているうちに、阿含は幼い頃に感じたイラつきをまた思い出す。
のどの奥に競りあがってくる苦い胃液に顔をしかめながら、阿含は組み敷いた雲水を見つめた。
ふと視線を下ろすと、雲水がその両手を色が変わるくらい力いっぱい握り締めている。
それを見て、やはり嫌なのかと少し気を緩め再び雲水の顔に視線を戻した瞬間、阿含は息を呑んだ。
「っ!!」
目の前にいるのは雲水のはずなのに、まるで自分を見下ろしているような奇妙な感覚に襲われる。
自分はいったい何をしているのかと、今更ながらに阿含はうろたえる。
弟の異変に気が付いた雲水が恐る恐る瞳を開いて阿含を見上げた。
「......どうした?」
「......っ、うるさいっ!!こんなの本気にしやがって、馬鹿じゃねぇのかッ!!」
「阿含?」
「誰がテメェなんかとヤるってんだよ!一生ドーテー抱えていやがれ。」
阿含は乱暴に雲水から離れると、そのまま部屋を出て行った。
「阿含ッ......」
背中に叩きつけられた兄からの声に背いたまま、阿含は一人きりになれる場所を探した。
だれもいない裏路地の片隅で、阿含はただ感情のままに壁や周囲に無造作に放置された粗大ゴミを蹴り続ける。
無機物に当り散らすほどに頭は冷えて、脳裏には雲水に重ねた自分の姿が浮かび上がる。
雲水だった顔はいつの間にか阿含にすり替わり、何か言いたそうに見つめている。
他者からの侵食を甘受したようなその表情は阿含の足元を脆く危ういものへと入れ替えていこうとする。
それは常に勝者であることを余儀なくされた天才阿含にとって、あってはならない感覚だった。
幼い頃から常に感じていた孤独など、阿含には必要の無いものでなければならない。
初めて体験したSEXにつまらなさを覚えることはあっても、うろたえ恐れるなど阿含は感じるわけも無い。
いくら双子の兄だといっても所詮は凡庸なただの人間、阿含にとって同等であるはずも無い。
阿含は相手のいない暴力を振るいながら、自分の中に存在してはいけない数々の感情を呪文のように繰り返し否定して潰していった。
それから程無くして、阿含はサングラスにドレッドヘアーといったスタイルを好むようになる。
その姿は雲水と並んでみたとしても、もう誰も彼等が双子とは気付かないだろう。
このことは雲水に対する阿含からの明らかな隔離と拒絶を指していた。
同時にそれは阿含が自分自身の弱さ脆さといった人間らしい部分を排斥したことにもなる。
今の阿含には恐れも畏怖も憧憬も、全て他者が自分に向ける感情でしかない。
そんな阿含の凶荒を誰も止めようとせず、また止められるはずもなかった。
阿含にとって唯一無二は自分であって、他人などは男にしろ女にしろ己の欲望を満たすだけの物でしかない。
誰からも必要とされているのに、誰も必要としない。
阿含は自らを天才と自負し他人を見下すことであえて自分から壁を作り、望んで周囲から隔離していった。
いつからだったか、その壁を易々と越えて阿含の隣に一人の男が座っていた。
男の名前は蛭魔妖一。
蛭魔は男というにはまだ幼く、それでいてどんな大人よりも狡猾だった。
そうは言っても、やはり阿含と比べてしまえば蛭魔はただの凡人でしかない。
それなのに蛭魔が自分の傍にいる事がやけにしっくり来るのはどうしてなのだろうと阿含は考える。
もし阿含がその答えに気付きそれを認めてしまったならば、阿含の神聖性はその瞬間に剥がれ落ち、阿含をどこまでも凡庸な人間に貶めかねない。
だから阿含は無意識のうちにその答えから目を背ける。
蛭魔はどこか雲水に似ていた。
その反面、蛭魔の阿含に対する視線は雲水のそれとは似ても似つかない。
相手が誰であろうとも、何も諦めず何も受け入れない。
蛭魔は阿含の才能を認めながらも、臆することなく近寄り、時には挑んでくることさえあった。
幼い頃から周囲が阿含に作っていた壁を、蛭魔だけは飛び越えようとする。
天才という理由の元に、常に他者からはじき出されてきた阿含を、蛭魔だけが捕まえようと迫ってくる。
初めて阿含を一人にさせなかった他人、それが蛭魔妖一。
血肉を分け合った兄ですら出来なかったことを、いとも簡単にやり遂げてしまう蛭魔に阿含が惹かれないわけがない。
二人のいびつな付き合いは裏切りの日を迎えるその時まで、危うい均衡を保ちながら続いていく。