白色吐息

『お名前教えていただけませんか?』

ムサシにはとても気になる人がいた。
いつも一人で公園のベンチに座り込んでいるその人は、とても綺麗な顔を仏頂面で覆い隠し続ける。
冬のある時期になるとその公園は、イルミネーションの美しさからデートスポットといわれる名所になり、自然と周囲は賑わい騒がしくなっていった。
そんな中でもただ一人、ぽつんと離れたベンチに座り続けるその人の姿をムサシは見つめる。
ある時、非常識な恋人達が周りの迷惑も考えずに始めた雪合戦の雪の玉がその人に当たった。
それすらも迷惑そうに眉をしかめるだけで、その場を動こうとはしないその姿に、ムサシは堪らず近寄って声をかけた。

「大丈夫か?」
「.........ああ。」
「誰か待ってるのか?」
「......いや、もう来た。」

そう言って、その人はムサシを指差しとても嬉しそうに笑った。

「テメェの事をずっと見てた。名前教えろ。」
「っ!!」

いつも見つめていたのはムサシばかりと思っていたのに、その相手からずっと自分を見ていたと告白される。
驚いたまま固まるムサシに、その人は不安そうに問いかける。

「迷惑だったか?」
「そうじゃなくて、その、いきなりで驚いただけだ。」
「じゃあもう一回。テメェの名前教えやがれ。」

その人は、不遜な態度と対照的にあんまり楽しそうに笑うから、ムサシもつられて笑ってしまった。


『その手を握ってもいいですか?』

自己紹介は互いに短く、ただ名前だけの交換に終わった。
周りは相変わらず浮かれた調子で、そういう雰囲気に馴染まないムサシにはずいぶんと居心地が悪かった。

「アンタはいつまでそうして座ってるんだ?」
「ヒル魔って呼べよ。オレもテメェのことはムサシって呼ぶから。」
「......あ〜、ヒル魔これからどっかいかないか?」

頭をかきながらムサシがそういうと、ヒル魔はベンチに座ったまま、細く白い手を差し出した。
ムサシは躊躇いがちにその手を取って、その手の冷たさに驚いた。

「うわっ!冷たすぎるぞ、いつからこうしているんだ?」
「さぁな。よく覚えてねぇ......よっ!!」
「おわぁっ!?......痛ぅ...」

いきなりヒル魔が強くムサシの手を引いた。
不意を衝かれたムサシはヒル魔の横に倒れこむようにして座らされる。

「...何するんだっ!!」
「ここで良いじゃねぇか。」
「はぁ?」
「今の時期なんて、どこに行っても人だらけで同じだし。オレはムサシとここに居てぇんだ。」

ヒル魔の視線は電飾に彩られ公園の中心に置かれた大きな木を映していた。
ムサシは仕方なく居住まいを正して、ヒル魔に言った。

「それならヒル魔、お前の手を寄こせ。」
「???」
「ここに居てもいいから、とにかくその手を温めろ。ほら、さっさと寄こせよ!!」
「...っ!?」

ヒル魔の右手は強引にムサシのポケットへと入れられ、中で強く握り締められる。
ヒムサシのあまりに突然で強引なその行為に、ヒル魔は目を丸くして、次の瞬間には耳先まで真っ赤に染め上げた。

「離せよっ!!」
「ダメだ。」
「ファッキンッ!!」

ヒル魔の手が逃げようとすると、ムサシはさらに強く握り締めてくる。
ポケットの中の小さな抗争はムサシの勝ちで、ヒル魔はしぶしぶ抵抗を止めた。

「......おい、糞ヒゲ。」
「ムサシって呼ぶんじゃなかったのか?」
「うっ...。糞ッ、左手は空いたまんまなんですが、こっちはどうするつもりなんでしょうかねぇ、ムサシ君?」

ヒル魔に痛い所を突っ込まれて、ムサシは舌打ちしながら反対のポケットを弄った。
そして目当てのものを引きずり出して、ヒル魔に投げつける。

「これでも握っとけっ!」

ムサシから投げられたホッカイロに手を伸ばして、ヒル魔は小声で呟く。

「テメェのほうが、あったけぇ。」
「ん、なんか言ったか?」
「何でもねぇっ!?こっち向くなっ!?ファッキン......」

真っ赤になって俯くヒル魔の様子に首を傾げながら、ムサシはヒル魔の右手を暖め続ける。


『キスなんかしたら怒ります?』

二人の吐く息はとても白くて、足元も周りの景色も霞んでいく。
ムサシは身震いをひとつして、ヒル魔の吐く息を見つめた。
その白い息を辿ると、その元には薄く形の良い柔らかそうな唇があって、ムサシは思わず目を逸らす。
コツンとムサシの左肩に何かが当たる。
何だと視線をやって、慌てて顔の向きを元に戻す。

「なっ、何やってんだよっ!」
「さみぃ...ムサシはあったけぇなぁ。」

ヒル魔の頭がムサシの左肩に置かれ、心地よい重さと人肌をムサシに与える。
ムサシのほうは、高鳴る鼓動と緊張に寒さも何も感じられないでいた。

「......だから、どこか行こうって言っただろうがっ。」
「テメェとあの明かりが落ちるのを見てみたかったんだから、仕方ねぇだろうが。」
「......そうなのか?」

ムサシがヒル魔を振り返る。
ムサシの白い息はヒル魔の額に当たり、ヒル魔はくすぐったそうに眉をひそめた。

「ムサシは息まであったけぇな。」

ヒル魔が顔を上げて笑いかける。
その口からは、また白くなった息が漏れて、ムサシは霧散するそれがもったいないと思った。

「オマエの息は暖かくないのか?」
「え?......っ!?」

ヒル魔は逃げる暇もなく、ムサシにその唇を捕らえられる。
目前には薄く開かれたムサシの瞳があり、見られることに耐え切れなくなったヒル魔はそっと瞳を閉じた。
視覚を塞ぐと急に触覚が鋭敏になり、唇から伝わるムサシの肉の感触と暖かさに身が震える。
重ね合わされただけの緩やかなキスは、一瞬で終わるとも永遠に続くとも感じられた。
辺りが不意に暗くなり、二人は公園の電飾が消えたことを知る。
あれだけいた恋人達はいつの間にか消え、公園はいつもの静けさを取り戻していた。

「嫌がらないのか?」
「テメェこそ、オレなんかと良いのかよ?」

わずかに唇が離されるとその隙間に冷気が入り込み、ヒル魔はようやく再び寒さを感じ始めた。


『抱きしめちゃってもいいですか?』

ムサシの唇に浮かされていたヒル魔の頭が冷気に冷やされ、心臓は気恥ずかしさを伴って頭に血液を送り出す。
慌ててムサシとの距離を作ろうとするヒル魔の腕をムサシが掴んで引き寄せた。

「逃げるなよ。」
「うるせぇっ......んっ」

2度目のキスは深く、初めのキスよりも熱く熱を持って互いの舌を絡め取る。
二人が酸素を求めるたびに、口の隙間から白い息があふれ出す。
ようやくムサシの唇が離れた時には、ヒル魔は肩で息をしなければ窒息してしまいそうなほどに溺れさせられていた。

「......はぁ...はっ、この......少しは、手加減しやがれっ...」
「誘ったそっちが悪い。」
「誰がっ!!......誘ったりなんか、してねぇ。」

ヒル魔の態度が可愛くなくて、ムサシは苛立ちその華奢な身体を抱き寄せ、腕の中に閉じ込める。
また抵抗して暴れられるかと身構えていたが、ヒル魔は意外におとなしくムサシに捕まえられていた。
これからどうしたものかとムサシが思案していると、ヒル魔の腕がオズオズとムサシの背に回される。
そんなヒル魔の反応が嬉しくて、ムサシはまた腕に力を込めてヒル魔を抱きしめる。

「......っ、ちょっ...力入れすぎだっ!苦しっ...」

バンバンとムサシの背中を叩いて苦しがるヒル魔に、ムサシは慌てて力を緩める。

「すまん、ヒル魔が逃げそうだったからつい。」
「.........逃げねぇよ。」

ヒル魔の手がムサシの背中で衣服を握って、その身を摺り寄せた。

「ああ、そうだな。」

ムサシも今度はそっとヒル魔を包み込む。
外気は冷たく、空から雪も降り出した。
深々と冷える中、二人はお互いの身体が凍えないよう、その手に力を込めた。


『もう今夜は帰したくないのですが?』

「明かりが消える瞬間、一緒に見れなかったな。」

ヒル魔がムサシの腕の中で、寂しそうに呟く。
いつも公園のベンチに座って、ムサシが通るのを見ていた。
なんとなく気になって、その行為は習慣になってしまうほどだった。
時々、見知らぬ女と一緒に歩くムサシを見て、胸がざわめき悲しくなって自分の気持ちに気が付いた。
それからも何度か違う女を連れ歩くムサシを眺めながら、あの隣にいたいと思ってしまう自分を嘲笑うことしか出来ないでいた。
それが今日、何の因果かこうしてムサシの腕に抱かれて同じ時間を過ごしている。
たぶん一日限りの幸運なのだとヒル魔は自分に言い聞かせていた。
だからきっと、イルミネーションの消える瞬間を一緒に見るチャンスなんてもう2度と無いなと心が沈んでいく。
急に元気の無くなったヒル魔をいぶかしみながら、ムサシが答えた。

「そんなもの、いつでもまた一緒に見に来たらいいだろう。」
「......一緒に?」
「なんだ、嫌なのか?」
「そうじゃねぇけど...言ってる意味わかってんのか?」

ムサシの言葉に驚いて、ヒル魔はムサシを見つめて問いかけた。

「わかってるつもりだけど。」
「また、オレと会ってくれるのか?」
「またって言うか......今日会ったばっかりでこういうのもどうかと思うんだが、今夜は離れるつもりも無い。」

ムサシの表情はいたってまじめで、ヒル魔は言葉を詰まらせる。

「で、だな。いくらくっついてても、寒いことには変わりないし、そろそろここを離れて俺の部屋でも来るか?」
「......っ。」
「あ〜、変なことはしないって。いや、たぶん。いや、その少しはするかも......というかできればしたい...だな。」
「.........なんだそりゃ。」

ムサシのあまりに正直な物言いに、ヒル魔は思わず噴出してしまう。
そんなヒル魔につられて、ムサシもバツが悪そうに笑った。
ひとしきり笑った後にヒル魔は立ち上がり、ムサシに手を差し出した。

「何してんだよ、ムサシの部屋に行くんだろうが。とっとと案内しやがれ。」
「......ああ、でもヒル魔は本当にいいのか?」
「それは行ってからまた考える。とにかくここは寒すぎるからな。凍え死にそうだ。」
「だな。」

ムサシはヒル魔の手を取り立ち上がると、そのまま引き寄せまた抱きしめた。
こうなったことも、今夜のことも、これからのことも、考えるのはまずヒル魔を連れ帰ってからだとムサシは思った。
幸運にも捉まえることのできたヒル魔を逃がさないように腕に抱きしめながら、ムサシは家路へと急ぐ。
後に残ったベンチは二人のぬくもりを降り積もる雪に奪われ静かに佇み続けるのだった。