失われたバレンタイン

ヒル魔の眉間に刻まれたシワが徐々に深くなっていく。
ムサシに向ける馬鹿にしたような表情に滲み出る不機嫌さが、ヒル魔の感情に限界が近いことを示していた。

「いい加減にしやがれ、糞ジジイ。」

低く下げられた声音は威嚇でもなんでもなく、今の状況に対して本気で怒り唸っている。
明々と照明のつけられた室内で、ヒル魔は後手に縛られ床に転がされている。
ムサシはその上から覆いかぶさるようにしてヒル魔を見つめていた。

「さっさとこの手ェ縛ってるヤツ取りやがれッ!!」
「取ったらお前は逃げるだろうが。」
「当然だッ!!」

今にも噛み付きそうな勢いでヒル魔が怒鳴り散らしてくる。
普段ヒル魔が誰にも見せることの無いその激情をムサシは一人堪能する。

「テメェはいったい何がしてぇんだよっ。」
「だからさっきから言ってるだろう、『2月14日はとっくの昔に過ぎてるぞ。』ってな。」
「さっぱりわかんねぇ......。」

甘いものが嫌いなヒル魔が、しかも男であるヒル魔がバレンタインデーにチョコなど持って来るとはもちろんムサシも期待してはいなかった。
それでも、チョコは無くても他にいくらでも気持ちを伝える手段はあったはずなのである。
それなのにヒル魔はチョコどころか2月14日をただの平日として無視したのだった。

「バレンタインデーなのに、お前は俺に何もしないのか?」
「は?オレが何するってんだ!!大体アレは女の為のイベントじゃねぇか。」
「媚の一つでも売ってみれば良かったんだよ。ヒル魔は俺のオンナだろう?」
「ザケンナッ!!」

ムサシの口から飛び出たあまりの暴言に、ヒル魔の怒りは沸点に達した。
ドカッと膝でムサシの尻を蹴り付けて、バランスを崩したムサシがヒル魔の顔に近づいたところでその鼻っ柱に頭突きをかけるはずだった。
しかしムサシの身体は思った以上に屈強で、ヒル魔の蹴りはムサシを揺るがすまでのダメージではなかった。
もちろんムサシの鼻先がヒル魔に近づくことは無く、ヒル魔の抵抗を覗き見ようと軽く下げた頭にヒル魔の額がクラッシュした。

「んがっ!!」
「っ痛ぇぇっ!!この......糞石アタ...マ......」

あまりの衝撃にヒル魔の目からはチカチカと白い火花が舞い落ちる。
ムサシのほうも頭頂部に多少のダメージを受け、思わずヒル魔の胸に顔を埋めて唸り声を上げている。
胸にかかる圧迫感と服越しに伝わるムサシの感触にヒル魔は息苦しさを覚えた。

「糞、重てぇんだよ。いい加減どきやがれ。」
「......ドタマきた。」
「あ゛?」
「犯す。」

ムサシは独り言のように呟くと徐にヒル魔の身体を剥いてく。
慌てて抵抗しようにもヒル魔の両腕は戒められたままで、足も器用に押さえ込まれて身動きが取れない。
唯一自由になる口だけが最後の武器とばかりにヒル魔は悪態をわめき散らす。

「止めろっ!!糞っ」
「ファッキンファッキンうるさい。黙って大人しくファックされてろ。」
「揚げ足取りみたいなこと言うんじゃねぇっ!ムサシのくせにっ!!」
「ヒル魔のくせに嫌がんな、黙って犯らせろ。」
「ぶっ殺すっ!!!」

臨戦態勢に入ったヒル魔の常套句にムサシは鋭く反応する。
ムサシはヒル魔の顎を掴んで睨み付けた。

「やれるもんならやってみろ。」
「なっ!?......ングッ」

言葉さえも封じようと、ムサシがヒル魔の唇に貪りつく。
ヒル魔は抗い逃れようとするが、細い顎を力任せに締め上げられて顔を背けるどころか口を閉じさせてももらえない。
熱を持った分厚い肉の塊がヒル魔の口腔内を我が物顔で這いずり回る。

「ンッ......フ..ゥ」

ムサシから与えられる予想のつかない感触にヒル魔は思わず息を漏らす。
勝手気ままに動き回るムサシの舌を自分のそれで押し返そうとしてみても、上手く逃げられ逆に絡まり舌下へと潜り込まれる。
唾液腺を舌先でつつかれ、その刺激に唾液が流される。
ヒル魔は溢れる唾液に意識が奪われ、そのことが余計に唾液を分泌させていく。

「......ッ......ンック、ンン...」

気管に流れ込みそうになった唾液に反応して、食道へ流し込もうと反射的に咽喉が上下する。
それでも上向かされたままの体勢では、上手く気管が閉じきれずタイミングのずれた唾液が流れ込み、ヒル魔をむせ込ませた。

「ゲホッ、はぁ...はっ...ケホッ、んぶっ!!」

ムサシはヒル魔の顎を押さえたまま唇を離し、ヒル魔の呼吸が落ち着くのを待ってまた口腔内を犯しにかかる。
ムサシの舌は器用にヒル魔の歯列をなぞり、口蓋へと移動していく。
上あごを舐められると、くすぐったさを伴って鼻の奥から脳へと甘い痺れが伝わりヒル魔の肌を粟立たせた。
刺激される度に生じる上あごからの痺れは脊髄を伝い、疼きとなってヒル魔の下半身へよどみ溜まっていく。

「ん...ふぅ......」

ヒル魔は耐え切れず鼻にかかったような甘ったるい息を漏らした。
まるで女のようなその声に、ムサシの唇が笑を滲ませる。
ヒル魔の体からは緊張がほぐれ、ムサシからもっと快楽を引き出そうとするかのように口腔内の動きが激しくなった。
ムサシはその様子に気を良くし、ヒル魔の顎を封じている手を緩める。
次の瞬間、ガリッという音とともに鋭い痛みと鉄の味がムサシの口腔内を襲った。

「痛っ!」

一瞬の油断がムサシの唇から血を流させる。
思わず引き剥がして押さえつけたヒル魔は、ムサシの手の下で息を荒げたままニヤリと笑う。
その唾液に濡れた唇には、たった今ムサシから奪った赤い体液が滲んでいる。

「ケケッ、気ぃ抜くから...そんな目にあうんだ。ザマァみやがれ。」
「.........。」

ヒル魔の言葉にムサシは憮然とした表情を浮かべる。
二人の関係が深まれば深まるほど、つい忘れてしまいそうになる。
ヒル魔はいつでも狡猾で、巧みに人を操る手腕に長けた男なのだということを。
そんなヒル魔に勝とうとするならば、ムサシが取る手段はただ一つ。
持ち前の傲慢と強引さで、この白くか細い身体を征服していくよりほかはない。
そうと決まればムサシの行動は早かった。
ヒル魔はあっという間に残りの衣服を剥ぎ取られ、片足を担ぎ上げられムサシの前に全てを晒す。

「うぁっ!ちょっ...ムサシ待ちやがれっ!?まだムリッ!!」

懇願にも似た制止の言葉に耳も貸さず、ムサシは全てを受け入れる窄まりへと指を押し込んだ。
ヒル魔はムサシの乱暴な行為に息を呑んで悲鳴をかみ殺す。

「硬ぇな、いきなりはムリか。」
「...っから......言ってんだろうがっ!もっ、早く...抜きや...がれ。」

ムサシが指を引き抜くと、ヒル魔の身体もその強張りを解いて弛緩する。
ヒル魔が恨めしげにみつめる先で、ムサシは何かを取り出した。
その手にあるのはいかにもといった感じのチューブで、ムサシはそこから半透明のクリームを捻り出した。
ほのかに鼻を突く人工的な甘い香りに、ヒル魔の眉間は深く皺を刻む。

「おいこら、この糞ジジイ。なんだ、それ。」
「バレンタインのチョコ代わり。チョコの香りつき潤滑剤」
「だから誰からンなもん貰ってきやがるんだッ!!」
「水のネーちゃん。」
「っ!!!!」

ヒル魔の口から叫び声が出る前に、ムサシは慣れた手つきでヒル魔の後孔に潤滑剤を塗り付けだした。

「......っ!......っふ、っく」
「んー、足りんか?残っても面倒だし全部使っとくか。」

排泄器官をかき回されほぐされる感触に耐えるヒル魔をよそに、ムサシは独り言を呟くとチューブの先をヒル魔の中に挿しいれた。

「ひっ!!なにっ?ムサシ!!ぅああっ」

ムサシは力強くチューブを握り、その中身をヒル魔に注いだ。
ブニュリブニュリと押し出されるクリームの感触に、ヒル魔は全身鳥肌を立て仰け反る。
ムサシは潤滑剤全てをヒル魔の中に捻り出すと、空になったチューブを無造作に抜き取って投げ捨てた。

「...きもっち...ワリ...ィ」

少しでも身じろぎ下腹部に力を入れると、ニチャニチャした感触がヒル魔を苛む。
かといって、できるだけ力を抜けば零してしまいそうでそれも出来ない。
トイレなりバスルームなりに駆け込もうにも、両腕は未だ後ろ手に縛られたままムサシに組み敷かれ、片足も捕らえられている。
冷や汗を浮かべながらヒル魔はただ耐えるしかなかった。

「孔、ヒクヒクしてるぞ。」
「うっるせぇっ!!...ッく......」
「だから媚びろっていってるだろ。」

ムサシは再びヒル魔の体内に指を挿しいれた。
必要以上に使われた潤滑剤のおかげで先ほどとは違い、今度は難なく指が飲み込まれていく。
早急に事を進めようとするムサシの乱暴な指使いも、この潤滑剤のせいでヒル魔には痛みよりむず痒い痺れを生み出してくる。

「ひあっ...あっ、ャ...ん」

ムサシの指は明らかにヒル魔のポイントのみを突こうと動き回っていた。
初めはクリーム状だった潤滑剤も、内壁に塗り込まれる毎にその粘性を無くしていく。
ヒル魔の入り口は徐々に慣らされ拡げられていった。
頃合を見計らい、ムサシは程よくほぐされた後孔から指を抜く。
ムサシに再度脚を拡げられたヒル魔は息を詰める。

「...っ」

ムサシの重みがヒル魔を襲い、ムサシが押し入ってくることを覚悟してヒル魔は身体を強張らせた。
そんなヒル魔の意に反して、不意にムサシは身体を離し、なにやらゴソゴソと探し持ち出して来る。
さっきまで感じていたムサシの体温が急になくなって、高まりかけたヒル魔の温度も少しだけ落ち着きを見せる。

「...何だ、そりゃ?」

怪訝な顔で問うてくるヒル魔には見向きもせずに、ムサシは手に持った平たい小さな包みをピッと裂いて中身を取り出した。
そして手に取ったものを不器用な手でもたもたと自分の陰茎に付け出した。
そんなムサシの姿に、ヒル魔は不機嫌さを募らせた声音で、もう一度質問を繰り返す。

「おい糞ジジィ。何なんだ、そりゃ。」
「ん、見りゃわかるだろう。ゴムだよゴム。あ゛―――っ!!ちっとも上手くは入らねぇ!!」
「慣れねぇ事しやがるからだっ!テメェはどうせ女相手でもナマか相手に付けさせてんだろうがっ。この糞タラシッ!?」

ヒル魔がムサシの背中を蹴り上げた。
縛られ転がったままの体勢ではたいした威力にはならなかったが、ムサシを振り返らせるくらいの効果はあった。

「大体なんで今更ゴムつけんだよッ。いつも好き勝手に犯りやがるくせに...。」
「これチョコ味付きらしいぞ。舐めてみるか?」
「っっっ!!死ねっ!!!」

二人の会話はかみ合わない。
何とかコンドームを付け終えたらしいムサシは、ヒル魔の怒声に臆することなくにじり寄ってくる。
重くなり力の入りにくくなった足を使って、ヒル魔は少しずつ後ずさりながら言葉を続けた。

「それもどっかの女からの貰いもんかよっ!」
「まぁな。」
「だったらその女に使いやがれッ!!」

ヒル魔が叫ぶ間にもムサシは距離を詰め、その細くしなやかな足に手を伸ばす。
ムサシに掴まれた足首はどんなにもがいても自由になることは無く、そこからムサシへと引き寄せられていく。
三度捕まえられ組み敷かれたヒル魔が思わず叫ぶ。

「テメェそんなの付けやがったらますます長引くだろうがッ!!」

ムサシがキョトンと見つめてくる中、自分の口から出た言葉にヒル魔は狼狽を見せた。
たぶんヒル魔の両手が自由になっていたならば、間違いなく自らその口を塞いでいたに違いない。
ムサシがこの好機を逃すわけも無く、うろたえるヒル魔の隙をついて細い身体にチョコ味の欲望を突き刺した。

「ぅアッ......っく」

潤滑剤で慣らされ尚且つゴムの滑りも伴って、早急な挿入にも関わらずそれはヒル魔の身体に難なく飲み込まれていく。
出来るだけ声を漏らさないようにと、歯をくいしばり耐えるヒル魔の姿をムサシは見下ろしていた。

「長いのは嫌か?」
「......う、るっせ...サッサと終われっ...ひっ」

ムサシはわざと浅くゆっくり腰を動かす。
緩やかで生ぬるい快感は徐々にヒル魔の熱を上げ、それでいて肝心なところまでは連れて行ってくれない。
こういう時のムサシは決まってヒル魔が先にイクのを許さない。
その証拠に、ムサシはただ腰を動かすだけで、股間で震えるヒル魔自身には掠りもしない。
いつもであれば自分で慰めることも出来たのだろうが、戒められた両手ではそれすら出来ない。

「どうした?ヒル魔、良くないか?」
「......っは...きもっち悪っ......んだよっ」
「そんなわけないだろ。」
「テメッ...が妙なもん、使っ...から.....」

確かに幾度となく肌を重ねてきたムサシの攻め方はヒル魔のポイントをとてもよく掴んでいて、微かな動きも快感を生み出してくれる。
けれども今はそれ以上に、ジュプジュプと音がするくらいに滑り溢れた内壁が気持ち悪かった。
甘ったるく匂う作り物の香りも胸をムカつかせる。
第一、もともとヒル魔は女ではないのだから濡れるということ自体に慣れていない。
例え過去に何度もムサシがヒル魔の中で射精したまま挿入を続けていても、その時ヒル魔の意識や感覚はある程度麻痺していた。
今のように全くの素面でというのはほとんど無い。
それだけに身体に伝わる強烈なまでの音と感触にヒル魔は苛まされていく。

「もっ...やめっ......ムサシっ」
「しょうがないな、ちょっと我慢してろ。」
「......な...に?ぁっ....ひっ」

ムサシの動きが急に乱暴になった。
確実にヒル魔の感じる箇所にのみ、強く深く押し付け擦りあげていく。
ヒル魔の身体は跳ね上がり、すでに硬く立ち上がった欲望は触れられてもいないのに先走りの液を漏らす。
ヒル魔がイクためだけの行為。
射精を促すために陰茎ではなく、我慢の出来ない生理的な臓器部分へムサシは強い刺激を送り続ける。

「ひっぁ...あっ......んっ......く、あっ!!」

ヒル魔は短い悲鳴を上げて身体を小刻みに震わせた。
身体の痙攣に併せてヒル魔の内壁も収縮する。
ムサシはその締め付けを薄いゴム越しに感じながら、ほんの僅かな感度の差に苦笑いを浮かべた。

「...はっ...は、ぁ......んっ。このっ...糞ジジッ...は。」
「すまん、ヒル魔の言うとおり、やっぱちょい長くなるみてぇだ。」
「...っ!?」
「この侘びはきっちりホワイトデーにでも返してやるから。今日は諦めて付き合えよ、な?」

ヒル魔はムサシの台詞に言葉をなくす。
無言のまま目だけが冷たく光を帯びてくるヒル魔をよそに、ムサシはまた身体を動かし始めた。
まだ高ぶったままの身体はすぐに反応を返し、ヒル魔はムサシの手中へと落ちていく。
こんなことになるのならチロルチョコの一粒くらい与えておけばよかったと、快感の水底へと引きずり込まれながらヒル魔は頭の隅で後悔した。
まだ他に何か引っかかることがあるはずなのだが、ムサシが変速的に突いてくる振動に追いつき合わせるのが精一杯で考えがまとまらない。

『ホワイトデー』

この言葉をヒル魔が思い出すのは全てが終わった後か、もしかしたら最悪その当日まで忘れ去っているかもしれない。
今はただ、不当に要求された時期はずれのバレンタインデーを満喫中のムサシが満足し終わるまで付き合うしか他ないヒル魔であった。