行先 1

1)
大企業と言われるほどの大きな会社の一室、廃棄処分を 待つだけの古びた資料を押し込めた部屋でヒル魔は高見 と対峙していた。
ほとんど沈みかけている日の光が、最後の力を振り絞る ようにブラインドの隙間から入り込み、床に二人分の影 を伸ばす。
時間は終業近くで、社員のほとんどが帰り支度や残業の 準備を始めていた。
こんな時間帯なのだから、主要フロアから離れた古い資 料室に用のある人間など皆無に近い。
にもかかわらず、高見は確実に誰も入ってこられないよ うドアにカギを掛けた。
その念の入れようから、この場にヒル魔を呼び出した高 見の慎重さと用件の機密性が垣間見える。

「で、こんな所にオレをわざわざ呼び出すほどの重要な 話ってなぁ、何だ?」
「さて、何だと思う?」
「もったいぶった話に限ってスカばっかりだからな。こ っちも暇じゃねぇし、テメェがそういう態度取るなら帰 る。………どけっ。」

スムーズに話を進めようとしない高見の口調に、ヒル魔 は見切りをつけて部屋を出ようとしたが、ヒル魔の退路 を邪魔するように高見はその立ち位置を変える。
資料室から出られないヒル魔は、自分よりも上背のある 高見を下から睨み上げた。
普段からあまり人と馴染もうとしない態度が、いつもよ りあからさまにヒル魔の視線から強く滲み出ている。
しかし高見はそれに臆する事なく、ポケットから何かを 取り出すと、口端を引き上げて笑いながら言った。
それは見かけこそとても小さいが、フロッピーなどとは 比べ物にならないほどの要領があるマイクロSDカード だった。

「まぁ、そう言わず。これキミが欲しいんじゃないかな ぁと思って。」
「・・・・・・中に何が入っていやがるんだ?」
「当ててみて。」

高見の指先に摘ままれた、爪の大きさ程度の薄く小さな カードと男の顔をヒル魔は黙って見比べている。
何を持っているのかと、自分の持つあらゆる情報を頭の 中で組み立てるが、可能性の数が多すぎてわからない。
可能性として浮かんだものは全て、ヒル魔が手にいれよ うと思って手に入らない訳ではない。
しかしそのどれもが、入手するにはかなりの時間と労力 をかける。
そのうちの一つが今目の前にあるとしたら、こんなうま い話はない。
しかもその出元がヒル魔と同じくらい頭の切れる高見だ とすれば、多少の犠牲を払ってでも手に入れておいて損 はなかった。

「交換条件はなんだ?」
「蛭魔妖一。」
「はぁ?」
「社長の隠し子、蛭魔妖一自身ってのは、どう?」
「っ!!」

自分とその父親である社長しか知らない秘密を口にされ 、ヒル魔は背筋を粟立てた。
高見が秘密を知っていたことにも驚いたが、交換条件に 自分を持ち出されたことにも混乱してしまう。
わけが分からず固まるヒル魔に高見がそっと近付いた。


2)
ヒル魔は幼少時の記憶の中に父親というものを持ってい なかった。 母子家庭でも生活は苦しくなかったので、今にして思え ば多分かなり高額の生活費等が父親から渡されていたの だろう。
戸籍に記されるべき父親の欄は当然のごとく空白で母親 に聞いても、『いつか父の役に立つような大人になれば 会えるからしっかり勉強しなさい。』の一点張りだった 。
とても聡い子供だったヒル魔は、母親の口ぶりから自分 たちの境遇の不自然さに早くから気が付いていた。
ヒル魔は母親の言う通り、勉強して難無く一流の幼稚舎 から中学校へと上っていった。
エリートの卵ばかりが集まった檻のような学童生活で、 父親のいないヒル魔は恰好の苛め対象になりかけた。
しかしそれも一瞬のことで、ヒル魔に危害を与えようと した相手はヒル魔の狡猾さとその手段を選ばない恐ろし さに触れ、いつしか学校全体がヒル魔に掌握されるよう にまでなっていった。
その様子に勇気を出して立ち向かう教師もいたが歯が立 つわけもなく、母親に話を持ちかけても曖昧にごまかさ れた。
不思議なことに、ヒル魔の母親は我が子の行いを諌めよ うとはせず、黙って見守り続けた。
そんな母親の態度を訝しながらも、ヒル魔は人生をこの まま自分の思うように進めていけると思っていた。
中学最後の日に父親が現われるまでは。
その日、卒業式を済ませたヒル魔は母親に連れられて、 有名なホテルの一室にいた。
中学卒業の祝いに食事でもするのかと思っていたヒル魔 は部屋に入り、見知らぬ男が偉そうに座っているのに気 が付いた。

「こいつ誰?アンタ再婚でもするの?別にオレは反対し ねぇけど。」

笑いながらそう言って振り返った時、目に映った母親の 固い表情にヒル魔は眉を顰めた。
子供を無視した母親が男と短く言葉を交わす間に、その 男が自分の父親であることをヒル魔は悟った。
そしてこの後、自分の身柄どころか人生すらも目の前に 突然現われた『父親』が握ることとなる。
もともと母親自身も引き離されることを知っていたため か、ヒル魔との母子関係はとても淡泊なものだった。
だからヒル魔にとっての問題は引き離された母親ではな く、ヒル魔自身の置かれた状況にあった。
ヒル魔の出生はとても作為的なもので、その目的は父親 の後を継ぐ子供の優秀な補佐役を作ることだと言う。
父親はそこらへんで遊んでいる子供ですらも耳にしたこ とのあるような、とても大きな会社の頂点に立っていた 。
そんな大企業を上手くまわしていくには、良い事ばかり していては立ち行かない。
犯罪すれすれか、時にはそれを越える行動すら必要悪と される。
しかし表立って一番上に立つ者がそういう事をするのは 好ましくない。
トップに立つ人間はあくまでクリーンなイメージを保ち 続けることも、会社を守り育てるための必須条件だった 。
後継者の変わりに裏へまわり、いざとなればトカゲが尾 を切るように捨て駒となる人間が必要だった。
トカゲの尻尾は必要だが、だからといって簡単に切れて しまうような粗悪品では話にならないし、いざという時 に切れないのも困る。
そこで男が考えた方法が妾腹だった。
我が子であればどんな教育をしようと、他人からとやか く言われる筋合いはない。
子供を孕む相手に選ばれた母親は、たぶん父親にとって トカゲの尾のような人間だったのだとヒル魔は思う。
いざという時のために、この秘密を知るのは両親とヒル 魔の三人に限られた。
普通であれば、このような事実には傷つき反発するのが 人間らしい感情というものなのだろうが、ヒル魔にそう いった事を感じさせるには既に遅すぎた。
もちろんヒル魔自身、他人の勝手に人生を左右されるの は気に入らなかった。
だから自分の立ち位置を逆手に取り、いずれは父親とそ の後継者から全てを横取りすることにした。