片恋 -左片-

どこの学校でもそうであるように、麻黄中においても部室の数は限られいる。
たった3人しか在籍していない麻黄中アメフト部デビルバッツは、部というよりも同好会に近いと武蔵は思う。
常識から考えれば、部としてすらも認識されないような状態の黄麻中デビルバッツだった。
それなのにヒル魔はどういう手を使ったのか、ちゃっかり部屋を部室用に一室確保してしまっていた。
本人に問いただしたところで、偶然空いていたとかなんとか言われて、うまくごまかされてしまう。
ヒル魔が手を回してしでかしたことなら抜かりは無いのだろうと思い、武蔵は詮索を諦めた。
部員が溢れて部室が足りないと、悲鳴を上げる級友たちを横目に武蔵は室内へと入って行く。

「……っ!」

室内に目を向けた瞬間、武蔵は思わず息を詰めた。
そこにはいつものように、栗田が一緒にいるものだとばかり思っていた。
そんな武蔵の予想に反して、室内には細い人影がひとつ座っているだけだった。
斜陽に浮かぶ人影は、思わずたじろぐ武蔵には目も向けず、ただカタカタと小気味のよい音を立てながら膝元のキーボードを叩いている。
影の正体はもちろん『蛭魔妖一』その人で、武蔵が思いを寄せているのかもしれない相手でもあった。
『かもしれない』などと言ってしまうあたり、自分の気持ちが現時点では行き過ぎた友情なのか恋情なのかはっきりわからない。
そんな武蔵にとって、今のこの空気はとても気詰まりで仕方が無かった。
だからと言って、理由も無しにこのまま立ち去るというのも具合が悪い。
いったいどうしたものかと武蔵が戸口に立ち尽くしていると、不意にヒル魔が口を開いた。

「何ぼさっと突っ立ていやがる?」
「あ?いや、あぁ…。」
「とっとと入りやがれ、外の音が煩くてしかたねぇ。」
「おぉ。」

不機嫌そうなヒル魔の声に意味の無い返答を返しながら、武蔵は部屋に入りドアを閉めた。
またヒル魔が何か話しかけてくるかと思ったが、期待に反して武蔵の耳には相変わらずカタカタという無機質音だけが届く。
先程も声はかけてきたけれど、振り返りはしないヒル魔の背中を武蔵は見つめた。
その視線は無言の圧力となってヒル魔の手元を鈍らせていく。
明らかに打ち誤りの多くなった指先に、ヒル魔は小さく舌打ちした。
それを耳に咎めた武蔵が口を開く。

「……邪魔なら出て行くぞ?」
「っ!?」

武蔵はヒル魔の舌打ちが自分に向けられた物と思い、邪魔しないようにと気遣いを見せたつもりだった。
その気遣いに、跳び跳ねるようにして振り返ったヒル魔の表情が武蔵を困惑させる。
焦ったような驚いたような、見様によっては泣きそうにさえ見えてくる。
最近ヒル魔はよくそんな表情を武蔵に晒すようになっていた。
武蔵はその顔を目にするたびに、わけのわからないモヤモヤが身の内に生じてしまう。
思わず手を出してヒル魔を引き寄せそうになる左腕を、無理矢理に自分の鞄へと突っ込んだ。

「これ、忘れん間に返しておく。」
「...?」

ヒル魔は何か貸してあったかと、武蔵が差し出す手に目を向ける。
そこには昼間に渡した英語の辞書が握られていた。
辞書を目にした途端、ヒル魔は武蔵にそれを貸した時のことを思い出す。
あの時、心が身体を支配するかのように辞書から指が離れなかった。
少しでも長く武蔵との繋がりを保ちたいと、ヒル魔は無意識にそう願ったに違いない。
忘れていた記憶を掘り返した途端、それまで平静を装っていたヒル魔の鼓動が急に早くなり、その白い頬に朱が差していく。
ヒル魔は慌てて武蔵から顔を背け、またキーボードを打ち始めた。

「おい、返すって言ってるだろう?」
「今忙しい、そこに置いときやがれ。」
「んだよ、その態度。」

二度同じ轍を踏まないためにも、ヒル魔は手渡しで受け取るわけにはいかなかった。
そんなヒル魔の態度に武蔵は苛立ち、無造作に辞書を机へと投げ捨てた。
辞書と机がぶつかる音に、一瞬ヒル魔の指が動きを止める。
しかし次の瞬間には何事も無かったかのように、また規則正しい音を響かせ始めていく。
一向に柔和しないヒル魔の態度に眉を顰めながら、武蔵は話題を変えて再度話しかける。

「栗田は?」
「......法事の手伝い。」
「あ〜、じゃあ今日はもう無理だな。練習しないなら俺も帰って親父の手伝いしに行くぞ?」
「.........好きにしやがれ。」
「ああ、そうする!」

売り言葉に買い言葉的な喧嘩腰の応酬に背中を押され、武蔵はヒル魔を振り返ることもせずに部室を後にした。
ヒル魔の憎まれ口など今に始まったことではないのに、それが今何故こんなにも自分の気持ちをざわめかせるのかと武蔵は首を捻る。
いちいち癇に障るヒル魔の返答に武蔵はイラつきながらも、同時にこの気詰まりな空間から抜け出せる理由が出来たことに安堵する。
締め切った扉の向こうで、あれほど耳障りに感じたカタカタという音が止んでいることなど気付きもせずに武蔵はその場を後にした。