下町人情-華・恋・吹雪- 1

『無輪挿』

出会いは突然、それでいて恋は雷に打たれるごとく強烈に始まるものが好ましい。
まして思春期の恋などは盲目的かつ稚拙でありながら、その必死で捨て身な行動が微笑ましくて、ふとした事から実を結ぶ場合もないではない。
今から始まる恋物語はどうだろうか。
盲目と言えば盲目で、稚拙と言えば稚拙だが、相手が相手では一筋縄ではいくはず無いのも世の常である。
これはそんなお話。


『一輪挿〜種吹雪〜』

ムサシはふてくされた顔をして目的地へと向かう。
親に頼まれて使いに走る子供という立場が嫌なのではない。
子供が親を助けるのは当然で、理由無く親に歯向かうなどそれこそガキのやる事だと思う。
ただその目的地が嫌なのである。
あと少しで目的地という所で足が止まる。
その視線の先に下町には少し似つかわしくない、こざっぱりとした小さな花屋があった。
いつの頃からかひっそりと開店していたその花屋は丁寧で質もよく、後は店員の愛想さえよければと近所のおばさん連中がこぼしていたのを思い出す。
花屋との距離がここから家までの距離よりも長く感じるのは、ムサシの中に芽生えている思春期のくだらなく崇高な男のプライドというものであった。
小学生ならまだしも、ムサシは15歳中学3年生である。大人の男の仲間入りをしたがる年頃に何が悲しくて花屋になんて足を踏み入れなければならないのかと少し悲しくなる。
この花屋の店員は男だからお前でも行きやすいだろうと言った親の無用な気遣いに腹が立ってくる。花屋なんて、女々しい男もいるものだと思う。
そんな女々しい男とは口もききたくない、そんな頑なで一方的な思いこみも思春期の特徴なのかもしれない。
普段のムサシなら、職業で人を判断するものではない事は重々承知である。
ただ、今は花屋へ入るという行為への恥じらいから花屋に関する全ての物事に恨み言を言わなければ遣り切れない心情でもあった。

「…………はぁ。」

本当はすぐにでも帰りたいのだが、逃げ出すのかとムサシの中で誰かが叫ぶ。
花の一つも買えないなんて情けないと呆れる親の姿が目に浮かぶ。

「ちくしょう!!行って花買うだけだっ、しかも仏壇の花だぞ。なんもはずかしくねぇっ!!」

ムサシは自分を納得させる言い訳をを呟きながら思いきって店内に足を踏み入れた。

「仏壇用の花、くださっ………ぃ………」
「あぁ、仏壇用の花ね。値段は幾らくらい?」
「…………」
「?……おいっ、予算幾らか言ってもらわなきゃ組めないだろうが。」

花屋の店員なんてどうせ弱々しくてたいした男ではないと決めつけていた。
ムサシの憧れる男とは、日に焼けて筋肉隆々の逞しい大工達である。
今目の前にいる男は憧れの大工からは程遠く、けれども想像していた花屋の男とも違った。
ただ、何故だか判らないが目が逸らせない。
ここが花屋の中であることも、自分が何をしているのかも全て忘れて、初めて会った男に見惚れる。
性別を抜きにして純粋にとても綺麗だと思う。
周りの音は掻き消えて、聞えるのは自分の心臓の音ばかりだった。

「何呆けてやがるんだ、大丈夫か?」

不意に手をのばされ、細く長い綺麗な指が目の前で振られる。
ムサシは無意識のうちにその手を取り、真剣な瞳でうわごとを呟く。

「俺の彼女になってくれっ!」

ドガッ!!

「ガキに冷やかされる覚えはねぇ。用が無いならとっとと消えろ!!」

ムサシは気がつくと店の外に蹴り飛ばされていた。
今まさに一目惚れした相手から冷たい一瞥をくれられて、その怜悧な瞳に睨まれてそれすらも綺麗だなぁと思ってしまう。
そんなムサシを置いて、惚れた相手は無情にも店内へと消えていった。
何が起こったか理解も出来ず、ただ呆然とその優美な後姿を見送りながら、思春期に芽生える男のプライドなど、思春期の恋の始まりにおいては塵芥よりも簡単に吹き飛んでしまうと悟ったムサシであった。
少年ムサシは目の前で無常に閉まるガラスのドアを眺めながら、色とりどりの花々と生茂る緑の葉の隙間に見え隠れする、今恋したばかりの相手の姿を見つめ続ける。
5分経ち、10分経ち、15分経ってもその場から立ち上がれずにいるムサシに気が付いた<花の君>が怪訝そうにムサシの様子を覗う。
ムサシが蹴り出されてからすでに30分は過ぎたかという段になって、漸く目の前のガラス戸が開かれた。

「……おい、糞ガキ……いつまでそうしているつもりだ、打ち所でも悪かったのか?」

かなり不機嫌そうな表情で<花の君>がムサシに近寄る。
ムサシはまた見惚れて返事も出来ずにいると、その腕を掴まれ引っ張り上げられる。

「………本当に大丈夫か?」
「っ!!あっ、あの……俺、武蔵厳!!ムサシって呼んでくれ!!」
「………本気で打ち所悪かったか?」

<花の君>は眉をひそめながらそう呟いてムサシの腕を引き、不本意ながらも店内へと招き入れた。

「で?客か?それともただのアホか?アホならなんか理由つけて警察突き出すぞ。」
「あっ、いやっあの………花ッ!俺、御供え用の花買いに来たんだった!!」
「あぁ。………たしかそんなこと言ってたな。ちょっと待ってろ。」

そう言ってムサシに背を向けた<花の君>は何やら作業を始めた。
その白くて長い指先が花の茎をつかんでは水鉢から引き出していくつかの束を器用にまとめていく。
その姿にムサシはまたまた見惚れてしまう。

「おらっ、持ってけ。一応仏花用の作ったから、これ持ってとっとと帰れ。」
「えっ?あぁ、お金……いくら?」
「あー、いいよ、今日は要らね。もしおまえがアホになったのがさっき蹴り上げたせいだったら悪いしな。」
「でもっ!!」
「花代は駄賃にしな。さぁ、店閉めるから返ってくれ。」

今度こそ、有無を言わせずムサシを追い出して花屋は閉店した。
その手際の良さにムサシはあっけに取られてただ眺めているしかできなかった。
そしてムサシは閉まったブラインドに背を向けて、仕方なくふらふらと夢遊病者の様に歩き出す。

「………あの糞ガキ、本当に大丈夫か?まぁ、別に関係無いけど。」

<花の君>がブラインドの隙間から覗いているのも知らずにムサシは胸の鼓動に踊らされながら帰って行った。

「あいつ、名前なんていうんだ?………聞いてくればよかった。」

ムサシは帰る道すがら、<花の君>に名前を聞いていないことを思い出して深く後悔する。

「まぁ、今日のお礼にって明日押しかけて聞き出せば良いか!」

相手の気持ちも都合もお構い無しに、ムサシは明日の計画を立て始める。
恋は盲目とはよく言ったもので、特に思春期の盲目さ加減といったら、周りはおろか相手さえも蔑ろにして進んでいく。
今のムサシの頭に浮かぶ事といったら、都合よく聞き出せるはずの<花の君>の名前を呼ぶ光景と、相手にも自分の名前を呼んでもらいながらいちゃつくといった痛々しい妄想しかない。

「うあっ!!………?なんだ、寒気が………風邪か?」

そしてこの時この瞬間、<花の君>である蛭魔妖一が悪寒を感じていたのは言うまでも無い。