『二輪挿〜芽吹く恋〜』
毎日毎日ムサシの花屋通いは続く。
「おはよっ!!」
「………あぁ。」
はじめこそ無視していたヒル魔も、最近では挨拶くらいなら返してくれるようになっていた。
しかし今だにヒル魔の名前は聞きだせずにいた。
「で、あんたの名前教えてよ!」
「黙れっ、糞ガキ。」
「ちっ、まだだめか。夕方またくるからそのときには教えろよ!!」
そう言ってムサシは学校へと駆けていく。
毎朝毎晩よく飽きないものだとその背中を眺めながらヒル魔は思う。
ヒル魔にとって、名前を教えるなんて別にどうでもいいことではあった。
ただしムサシに限っては、名前を教えてしまうことで今まで以上に親密に接してくることが分かりきっていたので、それがヒル魔をひどく躊躇わせた。
できるだけ誰とも深く関わらなくて済むようにと選んだ場所が縁も所縁も無いこの町で、好きなことだけしていたいと始めたのが花屋だった。
ムサシがただの客であったなら軽くあしらって終わりなのだが、当のムサシは困ったことにどう考えてもそれ以上の好意を持ってヒル魔に接してこようとする。
「………糞っ……」
そんなムサシに最近ほだされそうになる自分にヒル魔は困惑する。
初めに思わず蹴り上げてしまったこともあり、打ち所が悪くておかしくなったのかもという負い目もあった。
何より本気で嫌う相手で無い限りは、どんな種類の好意であろうと好意を受けて嬉しくない人間なんてほとんどいない。
あともう一押しされたら弟分くらいには格上げしてしまうかもしれない自分自身に、秀麗な眉をひそめるヒル魔であった。
「なぁ〜、何してんだよ。」
ムサシは朝言ったとおりに学校が終わると真っ直ぐ花屋へと帰ってきた。
そしてヒル魔の作業に口を挟む。
「なぁ〜なぁ〜」
「………うるさい。……商品にできなくなったやつを片付けているだけだ。」
ムサシがあまりに五月蝿くて、ヒル魔は仕方なく正直に答えてやる。
「えっ?じゃあそれいらないの?だったらくれよ!!俺にくれって。」
「断る。」
「ええー!!何で?あんたからもらった花なら大事にするよ!!」
「お前じゃ枯らすだけだろうがっ。きちんと手入れしてやればまだまだいけるんだよ、こいつら。」
ムサシのおねだりを軽くかわしながら、ヒル魔は少し草臥れかけた花達を丁寧に優しく纏めていく。
「それなら手入れの仕方教えてくれよ。だったらいいだろ?」
「絶対無理だ。帰って大工の手伝いでもやっとけ。」
「……………んん〜………………………」
ムサシは黙りこくって何かを考えだした。
「俺、あんたとだったら花屋してもいいぞ。だから教えろよ。」
「…っ………お前は大工になるんだろうがっ。いい加減なこというな、親が泣く。」
「そうだった。ん〜……………」
ヒル魔はいきなり何の告白かと一瞬言葉に詰まった自分を隠そうとわざと大人ぶる。
そんなヒル魔の言葉に真剣に悩む子供の姿に思わずヒル魔の頬が緩む。
体ばかり大きくても所詮は中学生なので考えも浅はかなのだが、純粋なだけに時々どきりとするようなことを言われてしまう。
「じゃあ、あんたの店の建築、改修、維持、管理全部引き受けてやるっ!!」
「店大きくするつもりねぇから断る。」
「えーっ!!」
ムサシが近寄る分だけヒル魔が引いて、二人の距離はなかなか縮まろうとしてくれない。
「こら、糞ガキっ。今日は大工見習いの日じゃなかったのか?」
「あっ!!やべっ!!!」
まだぶちぶちと文句を言ったり妙案を考え続けるムサシを追い出すために、ヒル魔はムサシが忘れていた予定を思い出させる。
本当はもっと早くに気付かせて追い出すこともできたのだが、最近ではこの時間が少し楽しくなってきていて、ちょっとだけならとつい言いそびれてしまった。
「また来るからっ!!浮気すんなよ!!」
「また蹴られてぇのか!この糞ガキ!!」
よほど慌てていたのかムサシは後ろを振り返らずに走っていった。
もしこのときムサシが後ろを振り返ったなら、焦りと困惑を滲ませながら口元を覆うヒル魔の姿を見ることが出来たというのに。
「糞っ!!ガキ相手に何してるんだ?しっかりしやがれっ。」
ムサシが振り返らないまま去っていったことに少しの不満を抱えた自分の胸を諌めるように軽く叩きながらヒル魔は店へと入った。
店に入って顔を上げるとつい今しがたムサシが欲しがった花達がいた。
盛りを少し過ぎてしまった花たちはもう商品にはならなくて、けれども捨ててしまうには忍びなくいつもこうやって持って帰って最後まで世話をしてやる。
「花の介護だな。てめぇらもきちんとしてやるからもう少し咲いとけよ?」
本当であれば、茎から切り離されることもなく、地面から遠のくことも仲間と離れることもなく一生を過ごし、時が満ちれば自然に任せて実なり種なりをつけるというのに。
ただ綺麗だからというだけでその寿命を縮めて単体で枯れていくしかないここの花たちを少しでも長くきれいに咲かせておいてやろうと思う。
「本当は切った花なんて趣味じゃないけどな、仕方ねぇか。」
そう言って少しだけ笑ってヒル魔はまた仕事に戻る。
それから2、3日ムサシが現れない日が続いた。
ムサシが居たら居たで騒々しくて嫌なのだが、いないとそれはそれでなんとなく寂しさを感じてしまっていることにヒル魔は少し動揺してしまう。
「まっ、ガキのやることだしいつ飽きてもおかしくはないな。また別に好きなやつでも出来たかもしれないし。」
ヒル魔は自分に言い聞かせるように独り言を言って気持ちを落ち着かせていた。
言い訳が終わるか終わらないかのうちにいきなりドアが開いて、馴染みとなった顔が元気よく飛び込んできた。
「たっだいまー!!」
「………ここはいつからお前の家になったんだ?」
「寂しかっただろ!俺がいなくてさぁ!!」
「人の話を聞け!!寂しいわけあるかっ、ふざけんな!!」
独り言を聞かれたのかと焦りながらヒル魔は武蔵に怒鳴りつける。
ムサシはすでに怒鳴られなれていて、ヒル魔の怒声に動じようとはまったくしない。
「はいっ、これお土産。」
「……なんだ?」
ムサシは満面の笑みで鉢に植えられた山百合をヒル魔に手渡す。
「家の手伝いでちょっと遠くまで大工見習いに行っててな、そこに植わってた。そのままにしといたら抜かれて終わりだったから思わず根っこごともって帰った。」
「もって帰ったってお前………」
「だってさぁ、あんたの周りっていつも切花ばっかりでさ。たまにはかれない花もいいかなってさ。」
「…………」
ヒル魔は自分の気持ちを見透かされたようで言葉に詰まる。
「ホントはゆっくりしたいんだけど、まだ手伝いが残ってるから今日はこれで帰るわ。あんたの顔も見れたし。」
「えっ?あっ……おいっ糞ガキ!!」
戸惑うヒル魔の様子に気付くでもなくムサシは慌しく帰ろうとするからヒル魔は思わず呼び止めてしまう。
「何?」
「…………蛭魔だっ…………」
「へ?」
「だから、蛭魔妖一だっ。お前が大工になったときに依頼主の名前が分からないと困るだろうがっ!!」
呼び止めてみたものの、何を言っていいか分からないヒル魔はムサシから目を逸らせたままで仕方なく名前を告げる。
「えええっ!!うそっ!マジ?ええー!!!って、何でドア閉めるんだよ!!入れろって!!妖一っ!!」
「名前で呼ぶなっ!!」
「じゃあっヒル魔!!」
「目上に向かって呼び捨てかっ!さっさと行けっ!!」
「う〜、後で絶対来るからなっ!!店開けとけよ!!絶対だからなっ、ヒル魔!!」
頑なにドアを開けようとしないヒル魔と迫ってくる時間に押されてムサシはしぶしぶその場を離れる。
ムサシが見えなくなるまでヒル魔はドアを押さえ続けていた。
「はぁ………何してんだ、本当に。……今日はもう帰って寝よ。」
いつまた帰ってくるか分からないムサシと顔を合わせた時に冷静に対応する自信は今のヒル魔にはなかった。
ヒル魔はため息とともに早めの店じまいを始める。