<影絵七枚目>
タオルで顔を覆いながらヒル魔は思いをめぐらせる。
朝目覚めると当然のようにまた一人で、さすがに三度目ともなるとおかしくなって笑いがこみ上げてきた。
そんなに自分の事が嫌なのかと思うと居たたまれなくて、とにかく身支度だけは整えようと脱ぎ捨てられた服に手を伸ばして顔をしかめる。
到底着られるような有り様ではない服達に見切りをつけて、目にとまったランニングと自分には大きすぎるズボンを身につけた。
洗いざらした服にはヒル魔のよく知った男の匂いが染み付いて、でもこんな服を着る男ではない事もよく知っていたから、たぶんこれはムサシの物かと裾を引っ張ってみる。
「訳わかんねぇよっ………」
一人小さく呟くヒル魔の言葉は壁に吸い込まれるように消えていく。
どんなに違うと言われても、姿も声もその感触さえも全く同じなのだから別々に見ろと言うほうが難しい。
まだ赤の他人の身体と入れ替わられたほうが納得できる。
ヒル魔にとってはタケクラもムサシもどちらも同じ人間としか映らず、それだけに余計ムサシに冷たくされると傷つくし、タケクラから優しくされると疑いたくなる。
ムサシが苦しそうにすると近寄って抱きしめたくなるし、タケクラが楽しそうにするとこれ以上傷つきたくなくて離れたくなる。
せめてどこか違う所は無いかと探してみるが、匂いさえも同じだなんてと途方にくれる。
そして自分がどんなにこの人間を好きなのかを自覚してしゃがみこんでしまう。
「結局どっちでも、どんな奴でも好きなんじゃ救いようが無ぇな。糞っ」
好きな人ができました。
好きな人の中に自分の知らない人がいました。
その人は好きな人と同じなのにその人のことは嫌いですか?
そんな器用な事は出来ません。
まるで小学生の教科書に出てくる文句かと思うような問答をヒル魔は何度も繰り返す。
そしてやはり結論は一つ、自分がタケクラを好きな以上、ムサシのことも嫌えないのだという事にたどり着くのだった。
何気なく窓から外を覗くと、そこにはムサシの姿があった。
こんなに早く帰ってくるなんてと驚きと焦りを感じたが、今更出ていくわけにもいかずヒル魔は正直な気持ちを伝えようと腹をくくることにした。
いつ扉が開かれるかと飛び出しそうな心臓を押さえながら待つ数分はとても長かった。
足音は確かに扉の前まできているのに、いっこうに開かない扉にイラツキを覚える。
きっと扉の向こうで躊躇されているのだと思うと、ヒル魔はとうとう痺れを切らせて思いっきり扉を開く。
もちろん頭か顔にぶつかるであろうことは予想していたし、ぶつかってしまえとさえ思っていた。
いざぶつかってしまうと緊張が緩んだせいかお互いに自然な感じで振舞えた。
しかしそれも長くは続かずムサシからの無言のプレッシャーとため息にヒル魔は押しつぶされそうになる。
勇気を出してなにか尋ねても答えてくれず、どんどんと追い詰められていく気がして緩んだはずの緊張はいつのまにか更に張り詰めていた。
そんな時、不意に記憶に無いからと名前を問われ酷く傷つく自分を奮い立たせようと努力する。
傍に寄るかと誘われて、竦みそうになる身を押し殺して近づいていく。
もう戸惑わない、立ち止まらないからと自分に言い聞かせてヒル魔はムサシの傍らへ腰を下ろす。
「タケクラじゃなくても良いのか?」
「…………。」
ムサシは自分の口から出た言葉が随分意地の悪い最低な質問だと思う。
それと同時に答えてこないヒル魔に失望しそうになって少し身を離す。
「俺にとっては……タケクラもムサシも同じだから。」
「なっ!!」
自分のどこがタケクラと同じなのかと腹が立って怒鳴り返そうとした瞬間、顔を上げたヒル魔の真剣な眼差しに口を塞がれる。
「ムサシがタケクラの事良く思っていないのはわかってる。でも、お前等そっくりなんだぞ?何もかもまんまなのにどうやって割り切れって言うんだよ………。」
「それは……でもっ俺はタケクラじゃない!!」
「タケクラじゃなくても二人で一人なんだよ?それじゃだめなのか?」
ムサシは初めて言われた言葉に動揺を隠せない。
今まで会ったどの人間も、自分の親でさえ二人を分けて考えていた。
どちらか一方は必要でどちらか一方は要らない子だと言われ続けた結果が今である。
自然と二人の距離は離れて完全に二分化した生活を送っていたし、それはこれからも変わることなく続けられていくものだと疑いもしなかった。
それなのに目の前の男は同じだと言う。
「俺ばっかり覚えてて、俺しか覚えてなくて、そういうの嫌なんだよ。」
ヒル魔はまた俯いて言葉を続ける。
「優しくされたかと思うと冷たく突き放されて、来いっていうその口で出ていけって言うし………。」
「実際に知らないんだからしょうがないだろうがっ!!」
「だったら知れば良いだろうがっ!!……糞ヒゲジジィっ」
予想も出来ないヒル魔からの要求に戸惑うばかりのムサシであった。
「ムサシは………俺のこと嫌いか?………もしそうなら、今すぐ出ていく。タケクラとももう逢わない。」
「……なんで?…タケクラの事は好きなんだろう?」
「好き……だけど…もう一人のお前に嫌われてるんじゃ……きっと俺のこと本当に好きにはなってくれない気がするから………」
ヒル魔の告白に一瞬ほだされそうになったムサシであったが、最後の言葉で結局はタケクラの為に自分に媚びるのかと思うと急に腹が立ってきた。
「じゃあ、俺がお前とヤルのも構わないんだな?」
「っ!!それはっ……」
「嫌なら今すぐ出ていけばいい。でも俺に好かれたいならそれなりの努力は必要だと思うがな?」
ムサシからの脅迫にも似た提案に狼狽するヒル魔であった。
そんなヒル魔の返事を待たずにムサシの顔が近づいてくる。
逃げる間もなく気が付いたときにはムサシによってまた乱暴に押し倒されていた。