『四輪挿〜華の散るらむ〜』
好き勝手にヒル魔を貪りつくして阿含は出て行く。
いつもいつも同じことの繰り返しで、きちんと付き合っていたわけでもなく、そろそろ潮時かとヒル魔のほうから姿を消したはずだった。
世の中にはいくつかの恋の始まりがあって、阿含との恋はきっと身体から始まる類のものだった。
ただし恋心がお互い同時に進行していくことはまず無く、阿含との関係も特例にはいたらなかった。
阿含が欲しいのはヒル魔の身体だけで、それが耐えられなくなる前にと柄にも無く自分から身を引いたのに、この有様は何だとはき捨てたくなる。
離れてみて気持ちが落ち着いた今ではあの頃のような感情はヒル魔の中にもすでに無く、気持ちがこれ以上深入りする可能性など皆無に等しい。
それでも過去の傷はいまだに痛んでこうして簡単に阿含の要求に答えてしまう。
ヒル魔は気持ちを切り替えようと頭を振って顔を上げた。
「………山百合…」
なぜだか急に山百合のことが気になって、視線を彷徨わせながらその無事を確認する。
店から見えにくいところにおいておいたおかげで今回の被害にはあわずに済んだらしい。
「糞ガキがっ!………お前が出てこなかったらもう少しくらい踏ん張れたのによ。」
阿含に隙を見せてしまった悔しさと、またその身を許してしまった自分の弱さを転嫁しようと、ヒル魔は山百合にムサシを重ねて愚痴をこぼす。
そうして周りを見渡せば店内の惨状が視界に入り思わず目を覆う。
「はぁ、片付けは明日にすっか。………ごめんな。」
足元に散らばる花たちはもう救いようの無いくらい滅茶苦茶で、今は花の骸を触る元気も無くてヒル魔はそのまま帰途につくことにした。
翌日、早朝からヒル魔が一人店内を掃除しているといつものようにムサシがやってきてガラスを叩く。
今はまだムサシの顔を見る気になれなくて無視して作業を続けていると、さらに強くガラスが叩かれるので仕方なく開けてやる。
「うるせぇっ、ガラスが割れるだろうがっ!」
「………大事な仕事、もう終わったのかよ?」
「ぁあ?……あぁ、仕事か。」
そういえばそんな嘘をついたなとヒル魔は思い出してそれを口実にムサシを追い払おうとする。
「終わった終わった。だから片づけで忙しいんだ、帰れ。っつうか学校いけ。」
「……首んとこ、赤く腫れてるぞ。」
「っ!?」
思わず首元を抑えるヒル魔にムサシの目が険しくなる。
ヒル魔が首に気を逸らしている隙にムサシは店内へと滑り込んだ。
「おいっ!!この糞ガキッ……待てって…」
「……なんだ?これ………」
ムサシの目に飛び込んできた店内はまるで強盗か地震の爪跡のような有様で、あまりの酷さに絶句する。
「………はぁ、だーかーらー、片付けてるっつただろうがっ!!」
ムサシの背後で気まずそうにため息をつきながらヒル魔が目を覆って呻く。
そんなヒル魔に背を向けたままでムサシが声を絞り出す。
「……何の仕事だよ……アンタ何してんだよっ!!」
「はぁ?お前に関係ねぇだろが。」
「………っ関係あるから聞いてんだろうがっ!!」
「うあっ!………ってぇ……」
いきなり振り向きざまにムサシがヒル魔の襟元をつかんで壁に押し付けるから、ヒル魔は強く背中を打ち付けて息が詰まる。
「何してんだよっ!!店滅茶苦茶にされてこんなの付けられて、何させてんだよ!!」
「うるせぇっ!!糞ガキには関係ねぇことなんだから放せっ!!……んむっ!?」
掴んだヒル魔の襟元を強く引き寄せムサシが唇に噛み付くように重ねてくる。
「………んんんっ…ぶはっ!!何しやがんだっこのっ糞マセガキ!!」
ヒル魔は渾身の力をこめてムサシを突き飛ばす。
「俺っアンタのこと好きって言っただろう!!何で本気にとってくれないんだよっ!!馬鹿野郎!!」
ムサシはヒル魔に気持ちを全てぶつけると勢いよく店を飛び出した。
「おいっ!!ムサシっ……いい逃げかよ………マジ…か?……はぁぁ………」
ヒル魔の足から力が抜けて脱力とともに床へとしゃがみこむ。
「何だよっ……ガキの癖にオトコの顔しやがって……生意気だっ、糞。」
いつも好きだと迫るムサシとはうって変わって真剣で、余裕が無くてまっすぐにぶつかってくるその様子にヒル魔は顔を赤らめて頭を抱える。
「……………やべぇ………………」
ヒル魔の頭の中には阿含のことなどすでに無く、今気付いてしまったこの動悸の原因を知りたくなくて別の事柄を探していく。
「…………片付けしなきゃ……」
そう呟いてヒル魔は不自然なくらいに黙々と片付け作業に没頭し始める。
この時自分が無意識に山百合の花を見ないようにしていることにヒル魔は気付いていなかった。
そんなヒル魔の微妙な変化を店の片隅でひっそりと佇む山百合の花だけが静かに見つめているようだった。